皆神山ピラミッドでの宇宙国の始まりと中里氏の旅立ち。立待ちの月が綺麗。/新井信介 「京の風」

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皆神山ピラミッドでの宇宙国の始まりと中里氏の旅立ち。立待ちの月が綺麗。

  こんばんは。

この連休は、3日に、家族で大町から黒部を抜けて、立山の「雪の大谷」を見に行きました。

北アルプスを東西にぶちぬく観光コースです。 大変な人出で、ここにも多くの外国人がいました。

私達が見た今回の「雪の大谷」の高さは15M。これだけでも、大感激なのですが、これまでの最高記録では、 23Mもあったそうです。

私達は今回、信州中野から高速道に乗って麻績ICで降りて、県道55号線で大町に向かったのですが、この田舎道は、とても美しく、可愛らしいものでした。特に、その中でも、八坂という地名の集落では、山尾根に山桜の見える景色が広がり、とても、心地よかったです。

昨日の4日に、本の編集のメンバーが中野にきました。

そして今日5日は、皆神山に向かいました。

 5月5日の午前10時、皆神山でピラミッド祭りが開かれました。今年で、29回目になります。

皆神山がピラミッドであるとの説を展開したのは、山田久延彦氏でした。古事記の解釈から、超古代の2万年前に、重力制御の技術をもつ当時の人類が、世界最大のピラミッドをこの松代の地に築造し、それが建設途中で終わってしまったというものでした。

私は何回か皆神山に訪れたことがあるのですが、神社の駐車場に立てられた看板に書かれている、「2万年前」と「重力制御」の記述については、これまで、中々、納得できなかった。しかし、山田氏が指摘するように、山の形が人造物のようで、異常であり、しかも、この山の比重が周辺よりは軽いという事実が、ずっと引っかかってきました。

この皆神山にことのほか強く反応していたのが、長野善光寺裏で、UFOに二度乗ったことで有名な、UFOコンタクティーの宇和原ワコさんでした。宇宙意識で生きるワコさんは、普段は、人間時間には、なかなか嵌らないのですが、このピラミッド祭りだけは別物で、昨夜は打ち合わせのあとは、一睡もせずにこの祭りに参加しました。

 この日はテレビの取材クルーも前日から来ていました。私は、山田久延彦氏を世に出した名物編集者と一緒に今年の祭りに参加したのですが、背景にあるのは、どうも、山田氏の説が、極めて高い確率で事実ではないか、と最近、思えるようになったからです。残念なことですが、それは山田氏が2年前になくなってから、後に世界中で急速に高まった知見によります。ボスニアで、1万5千年のピラミッドが見つかっていることと、 日本の浜松在住のはやし浩司氏による、ナスカ地上図の飛行ルート解析の研究成果です。

 私は、人類は20万前に遺伝子操作によって現在の肉体(新人)に作リかえられたと考えています。その場所はアフリカ南部であり、6万年まえに地中海を出てユーラシアに広がり、そこから世界中に展開するグレートジャーニーが始まり、以後、大体、1万5千年毎に一つの文明期があったと考えています。そして、今の文明は、1万5千年前から始まった、日本列島が大陸から引き離された時代の中で築かれました。これは、地球が温暖化に向かう時代でしたが、その前の文明期に当たるウルム氷期の3万年前から1万五千年前に、地上には、重力を制御できる文明があったと、考えられるのです。そのとき、この皆神山のピラミッドが造られた。こう考えられるのです。

 そして、私は2年前の天皇誕生日に、中野で、映画「シリウス」の上映会をしました。そして、山田氏とコンタクトしようとかんがえていたときに、訃報を受けました。

 あれから2年。 国際情勢は戦争屋がどんどん鎮められ、この4月からは、東アジアでも和解が進み、世界の一体化へと大きく舵が切られだした中で、今年のピラミッド祭りでした。

 私は、ワコさんや、ピラミッド祭りの実行委員会の皆さん、そして、宮司さん、さらに、テレビクルーにあったとき、 自分がようやく到達したこの皆神山ピラミッドの理解を話し、よし、来年の30周年には、 前日の4日に、松代で、大きなシンポジウムを開き、そのあとは、一晩中で、この皆神山で、宇宙を感じ、ワコさんのように、UFOとのコンタクトを楽しもう、そして、翌朝には、みんなで、この2万年の歴史を祝おう、そう言い合って、盛り上がったところでした。 

 そして、このとき、2001年以来の仲間であり、新しい文明の形を、「宇宙国」として、現実に実現しようとしている中里博泰博士のことが気になりました。一週間前に、吐血し、3日前にも私に電話をよこし、最適な医師と処方をたずねてきたばかりでした。もちろん、名古屋にある、中里歯科医院は吐血の日以来、休業でした。私達のこの日の朝、中野市から松代に向かう途中に、名古屋で、中里先生がなくなったのではないか、との噂が出いているという報をうけ、そんなはずない、と笑う飛ばしながら、彼の携帯に電話し、不通であることに一抹の不安を感じながら、この陽気なピラミッド祭りに参加していたのです。

 それが、「よし、来年の30周年には、ここで大きくやろう。サリバンくんにも来てもらおう。それは、宇宙と一体になる日だ」 といっているときに、 私の携帯に電話があり、それが、中里博士からのコールでした。

 「おおっ、やっぱり元気だったんだ」 と思ってそれに出た時、奥さんの声でした。 

私は、その瞬間、すべてが分かりました。 

 「新井先生、 すみません。 主人が・・・」

 「いつだったのですか?」 

 「昨日の2時2分。昼の2時2分・・・」

 以後は、もう声になりません。 中里博士と知り合ってからの15年の日々が、一気に脳裏をよぎります。

 「必要なことがあれば、なんでも言ってください。」 そういうのが、精一杯でした。

 

 国境をこえた宇宙国を作ることが、神の意志として、決定された。これは、7年ほど前から、中里博士が主張してきたことでした。そして、その主張を現実の政策に繁栄させるために、正式に、内閣府認可の政党「ユニ・アース」まで立ち上げ、この国を実質的に動かす、有力者を求めて、生業で稼いだ資金を使って東奔西走する日々をつづけていたのが、中里博士でした。

 そして、その宇宙国への扉が開かれることになる日に合わせ、中里氏は、旅立ってしまったのです。

 今日は、本当に、特別の日になりました。

 私たちは長野市で一番おいしい蕎麦屋に行った後、 「朧月夜」の舞台になった飯山の菜の花公園に向かい、掛け流し温泉を浴びた後、ネパール料理を食べ帰宅しましたが、夕闇の中、東の空には、掴めるほどに迫ってくる厚みを持った立待ち月(満月の2日後)が、鮮やかに天空に輝いていました。

これほど、誇らしく、光り輝く月を見たことはこれまでなかった。 きっと、その月には、中里博士がそこにいて、自分は時空を超えられる、肉体を持たない立場で、宇宙国を創り上げる、と主張しているようでした。

 さあ、次は、週末に、糸魚川だ。

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