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単に生き残るだけじゃなく、「人類文明を変えていく同志」になる。国家を超えて連携。大魔神帰国。

 こんにちは。

昨日夕刻、飯山大魔神が元気になって志布志に戻った。私が試しに電話してみたら、「ちょうど今、自分の家に戻ったところだ」と元気な声が弾んでいました。

今、自分には、楽しみが増えました。

この放射能禍の時代に、単に、自分と家族、仲間の身を守るだけでなく、自分たちの生き方や判断力が、新しい文明の建設に、直結していくとの確信を得たからです。

私は、生まれは長野県中野市。予備校・大学時代は東京。商社マン時代は主に中国の北京。これは、サラリーマンを辞めてからも続き、大陸の北京・鄭州で小さな会社を持ちました。こっちの経営は大失敗ですが、中国人の地域ごとの気質や、大陸の地勢、国家の性格、日本人・日本文化・日本国家にどういう見方をするのか、など、多くを学びました。また、「改革開放」での、政策の立案から決定・実施などの過程も実見できました。

私は、駐在員時代の1985年に初めて香港に行きましたが、その時は国務院の開発研究者の深セン訪問に同行し、その後に香港に入りましたので、自由であるはずの香港が、逆に怖く感じたくらいでした。

 1988年夏に馬野周二博士を連れて、中国政策部門(国家計画委員会や社会科学院)の人間に引き合わせました。私が当時の趙紫陽の秘書で、国家経済体制改革委員会の人間に、いつも馬野博士のことを話していたのがキッカケでした。そのときには落合莞爾さんと水谷民彦さんが、馬野博士の助さん格さん役をしていました。 

 馬野博士のその当時の持論は、「中国文明は、唐を頂点にすでに終わった」との理解でした。また、当時の馬野博士は、「ホツマツタエ」を真実だ、としていました。

 馬野さんは、日本文明の精神的高さを指摘され、それが多くのファンを惹きつけました。若造だった私もその一人です。しかし、その日本文明が、原発事故を引き起こしながら、その真実を国家権力で隠し通すばかりで、イノチを無視するものに成るとは思いも至らなかったでしょう。

また、「終わったはずの中国文明」の国家が、明治以来の日本の近代化を徹底的に学んで、国家改造をしながら、戦後の、FRBに巣食った戦争屋の正体を見破って、米ドルという戦後の基軸通貨を、自国のために使って(投資呼の呼び込み、外貨の蓄積)、自分の国の中央銀行が発行するマネー人民元を、基軸通貨のように使える道を、国家の国力増強の要諦の一つとして真剣に探っていくことになるとは、あの時点では、考えなかったでしょう。(実は、鄧小平の兄貴分の周恩来は、張学良、金日成と並んで、昭和天皇のスリーパーでもあったのです。)

私が、「文明のスタンダード」モデルを、考えだしたのは、この中国で、文化大革命後に、1979年に初めて、国家を開き、一旦、取り消した「私的所有権」を復活させながら、資本主義手法で経済発展を進めるすがたを、それから、25年間ずっと、見てきたからです。しかも、学習意欲の高い、官僚や学者が、若造の私に、素朴な疑問をぶつけ、それに、応えるべく、日本やアメリカの経済発展の仕組みを考えていた時に出来ました。

 1980年ごろは、国家は、人口2億人を超えると、機能しない。制御出来ない、とも言われていました。当時は、まだ、ITが普及してなく、まして、グローバル化の前に、国家間対立が全面に出る時代でした。

 1992年、鄧小平の南巡講話のあと、資本主義の方向が決定し、金儲け最優先の国家になった。もともと、秦の始皇帝の時代から、カネが大好きの民族です。その後は、土地と株の連動、さらに、先物取引など、西側で最先端の金融取引を、すぐに取り込みましたから、最初は、試験的に、そして徐々に加速度がついて、都市部で一気に国有地が民営化され、不動産や企業の価値に高額の価格がつきます。それを、また、中国国内の銀行で、「自画自賛」的に勝手に値段をつけ、「信用保証」を与えましたから、ところどころで好き放題なバブル状態が生まれました。

 日本では1990年代、企業ガバナンスに活かせるとして、孔子の儒教を経済発展の中心原理にとらえる企業経営者が多かったのですが、 私も、そうした理解でいる時に、大陸で、それも1994年に四川省の成都に行った時、

 今、「老子と経済発展」の研究会があるから来ないか、と誘われ、面食らいました。

  老子は、「無為自然」の教えで、マネーとは関係ないのでは、と私は考えていたのですが、

 彼らが、そのとき注目していたのは、 

 「今、中国では、まさに、『無から有が、次々誕生している』 から」 と。 これは、新鮮な視点でした。 

 そして、その、「無から有が生まれる中国」の勢いに、 「Y2K 」以後の世界の「金融ワンワールド」が乗っかります。円キャリートレードでもたらされたより多くの米ドルが溢れて中国全土に流れだしますが、そのための儀式でもあったのが、「911」でした。そのあとの、「イラク戦争」での原油価格の高騰、 リーマンショック、などなど。

 そして、中国国内では、香港台湾シンガポールなどの華僑と連動しながら、とにかくマネーをめざして、これでもかというくらい、自然をぶち壊しながら、マネーでの資産表示額を、超特急で増やす資本主義が、共産党での「文明再創造」になったのです。

 で、公害もあるし、格差もあるし、バブル崩壊もあるし、とにかく、都市部への人口集中が激しい。

そして、今、水不足(特に飲み水)。 それと同時に、大問題が、巨大人口の糞尿処理。 これが、下水処理で、追いつかない。

 しかも、一方で、土地の砂漠化。 さあどうする?

ここに、登場したのが、我らが、飯山大魔神。

大魔神を最初に見つけたのが、 『三國志』の始まり、「黄巾の乱」の、黄巾の「賊」の本拠地の山東省の「青州」。

ここは、三國志のみならず、宋の時代を舞台にした『水滸伝』では、梁山泊と並んで、「好漢」たちの拠点だった二竜山があったところ。

 付近には、孔子廟もあれば、なんといっても、「泰山封禅」の泰山がある。

ひとことで言うと、飯山大魔神を見つけ出したのは、中国の任侠の魂、侠客の血でしょう。 真岡の血と響き合ったのですね。

 私は、これまで、人間を騙し、自然を壊して、マネーだけを追ってきた人間社会が、しこたま貯めたマネーをどんなときに使い出すのか、を考えてきましたが、

 それは 自分にとって、心やイノチが繋がっていると感じる、いわば「愛」の発露で流れる、と考えてきましたが、もっと、明確に、それが出てくるのが、まさに、「好漢」たちの「侠気」の疼きのときです。

 今、中国大陸には、個人的な物欲だけなら、もう十分に満たせきった人間が、数千万人は存在します。

 中国人は、ほかの人間に、自分が、どう認められているか、まさに、「面子」こそが、最大の関心事です。

マネーの急いだ追求で壊れた中華の大地を、生きた芸術作品に、創り変えるのは、誰か!!!

そのとき、排泄物が、飯山大魔神の技術で、 手品のように、大地蘇生の魔法の原料に変わる。

 日本人が、集団で一つのエリアに住めば、そこは環境もよくなり、衛生的な文教地域に変わることがわかっていますから、 地方政府は、私達の定住は大歓迎でしょう。

 花鳥風月 を 愛でたいのは、世界中、誰でも、同じなのです。

今、中国人の普通の民が、ここ3年間、実際に日本列島に来て、普通の日本人の「優しい心遣い」「キメ細かい気配り」に、感激し、それを、自分の故郷でも実現したいと、望みだしました。

 私は、「人類文明を変えていく同志」は、今、世界中にいる と思います。

これまでの、日本の国家の制度や権威に囚われず、舞台を地球に広げれば、希望はたくさんあります。 

大陸には、逃げに行くのではなく、 自分を活かしに行く、という視点の自覚で、いきましょう。

飯山さん、手抜きしてもいいから、長生きしなきゃダメだよ。 

みんな本質を知っているから、いつまでも「いい人」でいる必要はありませんよ。

若い子分(弟子)を抱えて、彼らをどんどん使いながら、後継者に育ててください。それでこそ、「日本の好漢」だ。

 

PS; 私自身も、若い弟子(アシスタント)が、必要な時期になりました。

   住まいは有りますので、希望者を探す段階になっています。特に、「新井ワールド」を文書化できる人材。

 

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プロフィール

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新井信介(あらいしんすけ)

長野県中野市で昭和32年(1957年)にリンゴ問屋の息子として生まれました。 日本の歴史に圧倒的影響を与え、しかも、世界でもっとも多くの人間の住む国、中国と 商売しないのはおかしい、と、東京外国語大学の中国語学科に進んだ後、 今度は、世の中の現実と構造を知りたい思い、商社に入り、北京駐在員として 自動車・電気機関車などの輸出、さらに、本社では経済協力案件を担当しました。

しかし、88年秋、プラザ合意に始まったバブル経済が過熱していく中、昭和天皇が倒れ、 「金儲けどころじゃない、日本がおかしくなる」と、世直しを決意して退社。 日本の政策転換とバブルの早期処理を訴えましたが、結果は、「失われた20年」になりました。 98年から、「世紀末の大転換」を確信し、著作と講演を進めてきました。


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