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今後20年、地上の放射能は濃くなるばかり。人間(個体)は必ず死ぬが、何を残す?

 こんにちは。 少し、ややこしい話をします。

 私に、「昭和天皇の母は、中国人。明の最後の公主(皇女)、朱貞明」と教えてくれたのは、中山法元和尚でしたが、 この方は、上智大学を出た後、17年間、バチカンに留学し、ラテン語とフランス語が堪能でした。

そして、帰国後は、仏教の中でも、日本皇室の仏教とされる、三論宗に帰依し、明治の国家神道で、ほとんど見えなくなった、法皇の制度を考えていました。天皇家の仏教は、聖徳太子(厩戸皇子)から始まり、奈良の東大寺、そのなかでも、法華堂の不空羂索観音菩薩が、スメラギ(聖武、孝謙称徳)が直接、向かい合う仏像でした。

 法元和尚は、自らの仏門のことを、「針小山棒大寺」と、楽しんでいました。 そして、この太子以来の仏教勢力が今に残る坂上党であり、その筆頭が、坂上田村麻呂だったと、私に、教えました。

 他にも、いろいろ教えてもらいました。和尚は、三重の菰野にいるとき、仏教哲学青年道場を開いていたことがあり、仏教に関しては三論宗の中での法華経の理解を、平たく、「お教」にまとめていました。(その「お経」を私はいまでも持っていて、ときどき唱えます)。 三論宗とは、隋の文帝が学び、さらに煬帝も、アマタリシヒコ(厩戸)も、すすんで学んだ教えです。

 で、仏教の真髄のなかで、もっとも大切なこととして、以下を、教えてくれました。

 「ないものをあるとし、あるものをないとする、虚妄から去れ。今の、真実だけを見つめよ。」

 なにが、リアリティーなのか?

 ここを踏まえることでしか、三次元世界では、未来を作り出せません。

 仏教では、聖徳太子の言葉で「世間虚仮」が有名ですが、これは、奈良から平安になって、権力や富貴を求める、争いに負けたものが、イノチの本質から離れた一切のもの=世俗を捨て去る、「諦念」の部分を強調するコトバでした。

 一面の真理ですが、本来のブッダの教えは、人間社会の営みで、「虚仮」に囚われず、今という時代の中で、人間として生きている、真実の喜びを感じ合いなさい、というものです。

 これは、永遠の真理です。

 しかし、人間が構成する国家(統治体)は、人間の概念と暴力によって創りだされたものであり、統治のために、つねに、一つの合意=物語を必要とし、さらに、権力者の都合による虚構・幻想を、振りまき続けます。それに、たっぷりと浸ってしまうものが、「民」です。

 今、日本国の権力者は、メディアを完全に押さえ、とんでもない虚構を、国民に押し付けています。 

私は、ここで、間違いなく言える、逃れられない、絶対の真実を言います。

 それは、 今後20年、地球上の放射能は、濃くなるばかりであること。

 そして、 地上に生きる人間(個体)は、その寿命がどうであれ、間違いなく死ぬこと。

 さらに、 人間は、自分の心が、過去や未来とつながり、しかも、自分と同じ生命振動を持つ他の生命(子孫や後継者)に、その心や技が受け継がれる時、最大の喜びを感じることです。

 喜びには、種類も、形も、次元も、性質も、それぞれ違うものがあるでしょう。

 しかし、38億年のイノチの流れの中で、想像と創造ができ、神の似姿として造られた人間には、永遠の時間の中に、他の多くのイノチと響き合って、生き続けられると感じている「今」が至上の喜びです。その至上の喜びには、自分の喜びを引き継いでくれる存在が、この三次元にいてくれることを実感することで、さらにたかまります。

 肉体は、必ず、死を迎えます。 しかし、現実にある問題に真摯に向かっている時には、その心は、永遠のイノチと一体です。

 ないものをあるとし、あるものをないとする、虚妄だらけの「マインド・コスモス」では、 永遠のイノチとは、一体になれません。

 また、当然のことに、自分の本性を隠したがる心では、永遠の「今」とはならないでしょう。

  「未来創庵」に、ウソをつかない人 を求める理由もここにあります。 

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プロフィール

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新井信介(あらいしんすけ)

長野県中野市で昭和32年(1957年)にリンゴ問屋の息子として生まれました。 日本の歴史に圧倒的影響を与え、しかも、世界でもっとも多くの人間の住む国、中国と 商売しないのはおかしい、と、東京外国語大学の中国語学科に進んだ後、 今度は、世の中の現実と構造を知りたい思い、商社に入り、北京駐在員として 自動車・電気機関車などの輸出、さらに、本社では経済協力案件を担当しました。

しかし、88年秋、プラザ合意に始まったバブル経済が過熱していく中、昭和天皇が倒れ、 「金儲けどころじゃない、日本がおかしくなる」と、世直しを決意して退社。 日本の政策転換とバブルの早期処理を訴えましたが、結果は、「失われた20年」になりました。 98年から、「世紀末の大転換」を確信し、著作と講演を進めてきました。


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