アート/日々雑感:よくわからないこと?!

アート

【Crossroad誌:掲載記事】 『stare』(飯沼由貴)(2014年1月号)

 【Crossroad誌:掲載記事】 『stare』(飯沼由貴)(2014年1月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年1月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「飯沼由貴」さんの『stare』という作品です。 

作品タイトル:    stare

131116_stare.L_飯沼由貴.jpg

コメント 

最近、「社会脳」という研究分野があることを知りました。人の社会的行動に関わる脳構造とその研究を指すそうです。わかったようでわからないのですが、もっと大きく括ってしまうと「人を理解」するということだそうです。

脳という器官には、銀河系の星の数に匹敵するような膨大な数のニューロンが存在し、そこでは様々な意識や感覚を生み出しています。デカルトは、方法序説において「我思う、ゆえに我あり」として、自己の存在を定式化しました。しかし、人の人たる所以は、自己のみでなく他者と関わることで規定されるとも言われます。社会脳の研究では、自己と他者との関わりにおける脳内表現が探求されます。 

「人の人たる所以」といいましたが、どうも他の動物と人とを分けるものは、数多くの他者と様々な関係を作ることが出来ることにあるそうです。ダンバー氏(Robin Dunber)は、全脳に対する大脳新皮質の割合を比較することで、その比率が、それぞれの種の社会グループの大きさと相関関係にあることを発見しました。そこでわかったことは、決して強いとは言えない人が成功したのは、大きく複雑な社会的ネットワークを構築する能力を身につけたためで、脳(特に大脳新皮質)を発達させてきたからということだそうです。 

以前は、社会脳の研究を行う際には、仮想的な状況で脳の情報を計測してきたのですが、最近は、実際の社会的状況で個体の情報の計測を行うことが試みられています。例えば、最近、「拡張する脳」という書籍を上梓した藤井直敬氏は、「代替的現実」(Substitutional RealitySR)を造り出して、それを現実と入れ替えてしまうという「SRシステム」を開発して、被験者に様々な体験をさせることで研究を行っています。藤井氏によれば、他者との関係性や状況で、脳は認識を次々と拡張しているそうです。 

今回の作品は「stare」という作品で、作家が、「動物の姿を借りて現実や感覚の世界を表現」しているそうです。それはまさに他者がいることで、自分の意識や行動・表現が変わってしまうという「社会性」、あるいは突き詰めると先のように「人」を理解しようという試みかもしれません。

作家の行為は、動物を「あつめる」(グループ化)することで、仮想的な状況を造り出して実験をするかのようです。この作品は「stare」ですが、「まかれる」「かきわけて」「それぞれの」「まもる」というように様々な仮想的な状況を作品化して実験を試みています。人は他者と関わり、そしてその数を増やし、グループ化し、それを大きくしていくうちに、社会脳を発達させる必要性が出てきたというのですが、作品に現れる動物たちも、様々な仮想的な実験を繰り返すうちに、社会脳を発達させて、その行動・表現はどんどん変わったものになってくるのかもしれません。そして、「現実」と作品の「仮想」との区別がつかなくなり、「自己」と「他者」の区別もつかないような時が訪れるかもしれません。その時に「stare」しているのは誰なのでしょうか・・・? 

略歴 

1991年:               岐阜県生まれ

2013年:               愛知県立芸術大学 油画専攻卒業 

グループ展: 

2013                 愛知県立芸術大学 卒業・修了作品展(愛知)

湯谷見遊山 (愛知)

                 見参 -KENZAN  2013(東京) 

個展: 

2012                 as usual (愛知県)

2013                 あつまるxあにまる (伊勢丹新宿店) 

展示予定: 

20143月         アートフェア東京2014(画廊くにまつブース)

20145月         飯沼由貴 / 村上仁美 2人展

取り扱い画廊:  

画廊くにまつ 青山 www.g-kunimatsu.com/ 

今年頂いた年賀状:これは面白い!!

 140106_年賀状_守屋汎.jpg

【Crossroad誌:掲載記事】 『変身他自図』(大塚怜美)(2013年12月号)

 【Crossroad誌:掲載記事】 『変身他自図』(大塚怜美)(2013年12月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年12月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「大塚怜美」さんの『変身他自図』という作品です。 

作品タイトル:    変身他自図

131023_変身他自図.jpg

コメント

現代社会が持っている病理的な側面が悲劇的な事象となって現れることが多くなっていますが、そのような時に、それらの原因を説明する際に、「自己家畜化」という言葉が注目されます。「家畜」というのは、生物学的には、「生殖」が人の管理下にあり、野生種からは遺伝的に隔離された動物とされます。つまり、生命と種が、人為的にあるいは人為的な環境の中で管理されている動物ということになります。その「家畜」という言葉の前に「自己」という言葉が置かれたのは、ヒトが、自ら自然環境から切り離す形で人為的な環境(システム)を構築して、その中で自らの生命と種の管理を行ってきたことに由来するものです。

ヒトは原始には、他の動物たちと同様に、自然環境と一体となって生活していたはずです。しかし、一旦、人為的な環境を作り出すと、それをどんどん拡大し、自然環境の影響を少なくする方向へ向かってきました。その過程で様々な社会的システムを構築し、現在では、自らが作った社会システムの中に身を置かないと、もはや生存できないといいう状況となっています。

ヒトは、当初、「自らが自分を飼っている」ということであったはずですが、それが忘れられて、「飼われている」という動物の家畜と同じになってしまっているかもしれません。

ヒトが構築した社会システムはかなり出来上がってきており、それを維持するために必死になってヒトが何かをしなければならないということはもはやありません。むしろ、システムにただ従っていけば良く、その方が楽という状況にもなっています。

地球上におけるヒトの数は70億人にものぼります。種を拡大するということでは、その目的は達成されたと言えるでしょう。しかし、それによって本来は主となるはずの「自己」というものがどこかへ失われていないでしょうか?その社会システムの拡大によって、本来ヒトが持っている自己の本能的な衝動との間に矛盾が出てきていないでしょうか?

「喜び」といった時にも、何が「喜び」なのかも変わっていないでしょうか?自然環境の中に置かれていた時には、自然そしてそこに存在する多くのイノチとの響き合いそのものが喜びであったはずですが、今は何が喜びなのでしょうか?

今回の作品は、「変身他自図」という作品です。「ギャル」が流行っているというファッションにならって、同じように付けまつ毛などの厚化粧をし、同じような髪型にしようとしている姿を描いたものです。そこにあるのは、「他自」とあるように自らの「絶対的な喜び」を目指すものではなく、同じ世代の「他」の子達がしている「流行っている」といわれる格好に似せるというもので、それはあくまでもある特定の集団に帰属して、その中での「相対化」された喜びを目指すものです。あるいは家畜化された羊は群から離れては生きて行けませんので、群れの中に身を潜めるというものでしょう。

作家は、そのようなギャルが理解できずに、ギャルの格好をしたこともあるそうですが、それは、家畜化されたヒトが忘れてしまった「自らが自分を飼っている」という意識が作家の潜在意識の中に存在して、人工的ではない自然環境の中で、相対化されたものではなく、絶対的なものを求めるように働きかけているからではないでしょうか・・・

略歴

1986年 群馬県出身

2010年 東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース 卒業

2012年 東北芸術工科大学芸術工学研究科修了課程 芸術文化専攻日本画領域 修了

個展・グループ展:

2010年 東北芸術工科大学卒業・修了制作展 

      東北芸術工科大学卒業・修了制作展[東京選抜展](東京・東京都美術館)

      「トーキョーワンダーウォール」【入選】(東京・東京都現代美術館)

      「Ten・テン・てん」(千葉・スペースガレリア)

       HIJIORI Light Project 「ひじおりの灯2010」(山形・肘折温泉街)

      「月・Moon」(千葉・スペースガレリア) 

2011  個展「大塚怜美展-水を得ぬ魚たち-」(東京・ギャラリーf分の1) 

     「ギャラリーへいこう2011」【入選】(東京、滋賀・数寄和)

      「SHINSEIDO SPROUTS vol.1-山のカタチ-」(東京・新生堂)    

2012年 東北芸術工科大学卒業・修了制作展【優秀賞】

      「SHINSEIDO SELECTION vol.2」(東京・新生堂)

      「 第31回損保ジャパン美術財団選抜奨励展」【オーディエンス賞】

(東京・損保ジャパン東郷青児美術館)

     東北芸術工科大学卒業・修了制作展[東京選抜展](東京・外苑キャンパス)

     個展「現代風俗女性像」(東京・ポスターハリスギャラリー)     

「水墨最前線2012‐朝倉隆文 及川聡子 大塚怜美‐」

                     (東京・日本橋髙島屋美術画廊X)

2013年 「や・よ・い なる旬な画家たち展」(宮城・藤崎)

      個展「タマサカル」(東京・ポスターハリスギャラリー)

      「~24名の作家による~今日の墨表現展」(東京・佐藤美術館) 

      個展「大塚怜美展」(東京・新生堂)

【Crossroad誌:掲載記事】 『ERI』(石橋ユイ)(2013年11月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『ERI』(石橋ユイ)201311月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年11月号に以下の記事が巻掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「石橋ユイ」さんの『ERI』という作品です。

作品タイトル:    『ERI』

130923_石橋ユイ_作品2013.jpg

 コメント:  

学校で、世界の四大文明とは、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明だと習った記憶があります。しかし、最近は、新たな遺跡の発掘などで、状況が変わってきているようです。中国では、黄河文明と並ぶものとして長江文明が独自の文化を持っていたとされるようになっています。長江文明は、長江流域で起こった複数の古代文明の総称で、文明の時期としては紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までで、後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられています。以前は、中国の文明の発祥は黄河流域で、その後、長江流域などの周辺地域に広がっていったと見られていたのですが、1970年代に、浙江省で河姆渡遺跡(かぼといせき)が発見され、稲作・高床式住居といった黄河文明とは異なる独自の文化を持っていたことが発見され、それまでの定説が覆されることとなりました。 

その長江文明に属する遺跡の一つに四川省の三星堆遺跡(成都から北に50km程)があります。三星堆では、異形の青銅製の仮面や巨大な人物像が多数出土しています。なかでも「青銅縦目仮面」と呼ばれる目が前面に筒状に突出し、額にいわゆる第三の目のような瞳のある(巨大な)仮面が多数出土しています。諸説ありますが、これは「地球外知的生命体」(宇宙人)を表しているのではないかという人達もいます。 

今回、注目したいのは「青銅神樹」という青銅製の扶桑樹です。殷代晩期のもので、樹高が約43階構造のもので、幹の各層に枝が3本ずつ張り出しており、それぞれの枝に1羽、全部で9羽の霊鳥が留まっています。枝先には果実がなり、樹の下層には頭を下に向けた1頭の龍が這っているものです。

この「神樹」は、古来からの「天」の思想を表したものだと思われます。天は、人の上にある存在、人を超えた存在をあらわすものとされます。物理的にも、人の上方、空の方向を示すとされ、その意味で空に近い大樹は、天と繋がるもので、鳥は天と人(あるいは地)をつなぐものとされ大事にされました。この「神樹」はまさにそのような考え方を表したものです。 

また、天は人の上にある存在としながらも、後に「天人合一」と体系化されるように、当時の人たちは「天」「神」「宇宙」あるいは「自然」と一体になっていたでしょう。そこには、「喜び・楽しさ」「苦しみ」「悲しみ」など様々なものが存在したでしょうが、すべてのイノチと繋がり合い、響きあいながら、存在するものを全て受け入れて、暮らしていたに違いありません。 

今回紹介させていただいたのは、「ERI」という作品です。天に届かんばかりに力強く上方に伸びている髪、そしてそこには霊長を呼び込もうかと言わんばかりの赤い実がなり、その反対方向には、地へと根を強く張らんとするかのような髪が描かれ、眼は限りなく広がっているような深淵な空間のようであり、また限りなく遠くまで届きそうな光を発しているようでもあります。現代的でありながら、なにか時代や空間を超越した「天」「神」「宇宙」あるいは「自然」と繋がる、あるいは一体になってしまいそうな、まさに三星堆遺跡で発見された「神樹」を思い起こさせるような、不思議なエネルギーを感じる作品です。 

略歴: 

1985年 神奈川県生まれ

2011年 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻 卒業 

個展: 

201310        Shonandai MY Gallery(東京)にて個展開催予定 

グループ展: 

2006   Art fight in ASOJR内牧駅、ASO田園空間博物館(熊本)

2007   vita art 2007」シンワアートミュージアム(東京)

2008   「うひひの日 vol.1」下北沢屋根裏(東京)

 「秘すればこそアート」ギャラリーQ(東京)

             「うひひの日 vol.2」渋谷ラ・ママ(東京)

             「アジア・トップ・ギャラリー・ホテル・アートフェアー」ギャラリーQ

ブースホテル・ニューオータニ(東京)

             「ときめき☆鑓水ランデヴー 相模原SP」相模原市民ギャラリー(神奈川) 

2009   marble & marble」多摩美術大学内(東京)

 marble & marble」ギャラリーQ(東京)

2010    「パレル・ピルレム・ポレリレム展」ターナーギャラリー(東京)

              「forest Village展」あざみ野市民ギャラリー(横浜)

              「八木仁志 写真展 彫刻家の風と足音」ギャラリースペース遊(神奈川)

2011    「東京五美術大学連合卒業・修了制作展 」国立新美術館(東京)

              「MY Harmonious Exhibit 2011 Shonandai MY Gallery(東京) 

2012    「ART TAIPEI 2012 台北國際藝術博覽會」台北世界貿易センター(台北) 

【Crossroad誌:掲載記事】 『KiyaKiya - Drawing 16』(近藤聡乃)(2013年10月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『KiyaKiya – Drawing 16』(近藤聡乃)(201310月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年10月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「近藤聡乃」さんの『KiyaKiya – Drawing 16』という作品です。 

作品タイトル:    KiyaKiya – Drawing 16』

130824_近藤聡乃_kiyakiya_drawing16.jpg

コメント 

地球から見える最も明るい星のひとつに大犬座のシリウスがあります。シリウスは、かねてより人類文明の誕生と密接に関わってきたといわれており、エジプトのピラミッドやスフィンクスとの関係も指摘されています。

このシリウスは、太陽系から8.6光年離れており、シリウスA及びシリウスB2星からなる実視連星ですが、シリウスAが極めて明るいために、伴星であるシリウスBを見ることは困難です。このシリウスBは白色矮星として知られ、質量は太陽と同じくらいなのに、容積は100001です。つまり重力が極めて大きい重力の塊のような星なのです。その重力の塊のようなシリウスBは別名をデジタリアと言い、様々な生命現象に関わる情報が記録されているといいます。 

最近になって、このシリウスにはシリウスCが存在することがわかってきており、それが3600年の周期を持つという惑星ニビルです(昨年末に騒がれたのはトンデモ情報でした)。このニビルは、3600年の周期で地球に近づいて、シリウスBに記録されている情報を地球にもたらします。私たちが衛星放送で、いろいろな番組を視聴するように、ニビルには様々な周波数の情報が無数のチャンネルとして蓄積されており、私たちはどのようなことが知りたいかによってチャンネルを合わせると、知りたい情報がダウンロードされてきます。

人類文明には、そのように人類が必要とする様々な情報が、「天空」からダウンロードされることによってもたらされたのではないか、という説を唱える人たちがいます。 

ニビルに記録された情報には、太古の情報から、まさに昨日や今現在起こっていることの情報もあるでしょうし、ひょっとすると未来の情報も記録されているかもしれません。アインシュタインの特殊相対性理論などからすれば、シリウスBのように重力の塊のような場では、時間の概念そのものがなきに等しいような状態となってしまうでしょう。 

時間の概念さえもなきに等しいような10次元の宇宙空間からもたらされる情報を受け取ったときに私たちはどのようになってしまうのでしょうか?ダウンロードされる情報には、過去のものから未来までの情報があり、私たちはそれを4次元の場で受け取ることになります。その際に、私たちの精神あるいは意識はどのように反応するのでしょうか?

近藤の「KiyaKiya」という作品では、時間や空間の異なる複数(アニメーションでは3つ)の物語が進行していきます。そしてそれらは、あるところではつながったり、あるいはまた離れていったり、という具合に複雑に絡み合い、そして関係しあって、進行していきます。それらは過去から未来へといった一方方向ではなく、おそらく未来から過去へといった時間の流れもあることでしょう。本作品は、アニメーションには登場しない時間と空間ですが、このような時間と空間はこれから次々と新たに生まれてくることでしょう。そして、その存在は、それぞれが「唯一の大事なもの」ではあるのですが、それは「無数に存在」し、まさに「Life of Flowers」のように、それぞれがその存在を主張すると同時に、お互いが融合しあって今後も展開されていくことでしょう。 

略歴 

1980年 千葉県生まれ

2003年 多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業

2008年 ニューヨーク在住 

主な個展: 

2013  KiyaKiya 1/15 sec.」ミヅマアートギャラリー/東京

        「KiyaKiya アニメーション原画展」六本木ヒルズA/Dギャラリー/東京

        KiyaKiya 1/15 sec. galleri s.e/ベルゲン、ノルウェー 

主なグループ展: 

2013  The Garden of Forking Paths: Exploring Independent AnimationOCAT, OCT Contemporary Art Terminal Shangha/上海、中国 

2010  DOMANI -  The Art of Tomorrow 2010 Exhibition」国立新美術館/東京

        「You Tube Play: Biennale of Creative Video」グッゲンハイム美術館/ニューヨーク、アメリカ     

ミュージアムコレクション: 

Asia Society、ニューヨーク、アメリカ

川崎市民ミュージアム、神奈川 

森美術館、東京

【Crossroad誌:掲載記事】 『夜に離陸』(築野友衣子)(2013年9月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『夜に離陸』(築野友衣子)(20139月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年9月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「築野友衣子」さんの『夜に離陸』という作品です。 

作品タイトル:    『夜に離陸』(Departure to the Night.

 

130723_夜に離陸.jpg

コメント: 

人はどのようになったら幸せだと感じるようになるのだろうか?日本は戦争による国土の荒廃も経験したが、今では自らの家に住むことが出来るし、日々三度の食事をすることが出来る。家には、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などの電化製品もあり、家事にかかる時間はかなり減り、カルチャーセンターなどにも通うことが出来るようになった。旅行で温泉にもつかることも出来、時には海外にも出かけることが出来る。医療も整っていて、平均寿命も世界最長といってよいだろう。それでもテレビや新聞には、暗いニュースがあふれている。一体どのようになったら、現代人は幸せだと感じるのだろうか? 

2011年後半に、ブータン国王夫妻が来日して、「国民総幸福量」という考え方が話題となった。「国民総幸福量」(Gross National Happiness, GNH)とは文字通り、「国民全体の幸福度」を示すものだそうで、物質面ではなく、精神面での豊かさを基準に考えていくということだろう。 

ビジネス・スクールでこのような話になると「目標設定…方法論…達成度」というようなことになるのかもしれない。しかし、物質面での話しであれば、また、とりあえず目標を達成したかどうかという充足度という面で言えば、その人たちは幸せだと感じなければならない、ことになってしまうのでは…?

しかし、とりあえず何でもそろっている現代人には、何を目標にしたらよいのか、あるいは何をやりたいのか、が分からずに、途方にくれてしまう人や、あるいは身近な物質的目標に身を任せてしまう人も出てくる。物質的な目標は、その達成自体が目的化することが多く、それは限りなく膨張しつづけるので、いつまでたってもその目標を達成することが出来ずに苦しむ人も少なくない。 

近年の幸福感に関する心理学的・精神医学的な研究によれば、幸福感の度合いを決めるのは、個々人の精神的な特徴だという。幸福だと感じる人に共通する内的な特徴は、①自分自身のことが好きであること、②主体的に生きているという感覚を持てていること、などであるという。つまるところ、自らの「心のありかた」の問題のようだ。

この世に肉体を持って生まれてきたからには、その「生きていること」自体に対して、とことん「喜び」を感じことが大事で、自身の「生」を喜びつくすことが、その生の根源たる宇宙の生命と一体化する(本来は一体なのでしょうが…)ことにつながるのでしょう。 

この作品は、『夜に離陸』(”Departure to the Night”)というタイトルですが、「夜」というと、すぐに否定的なイメージを持ってしまいがちですが、見方を変えれば、「月」にみられるように「夜」は生命にとって非常に重要であり、「陰陽」の世界でいえば、「始まりの中に終わりがあり」「終わりの中に始まりがある」という永遠に続く流れの中の瞬間にすぎません。「夜」を否定的に捉えるのではなく、その「生」の滔滔たる流れに身をゆだねることで、自身の世界を変えることが出来るのではないか…。作者自身の心も大きく変わっているに違いありません。 

略歴: 

1985          神奈川県生まれ

2008年         多摩美術大学絵画学科油画専攻 卒業

2010年         多摩美術大学大学院美術研究科 絵画専攻修士課程 修了 

個展】 

2007          LUMINOUS!』 (鑓水青年美術館・神奈川)

2009          『あなたへの海』(川田画廊・神戸)

2013          『夜に離陸』(国立アートイマジンギャラリー)

                『天使と恋に落ちた娘の話』(Liaison Café・渋谷) 

【グループ展】 

2005          『うふふ展』(みなとみらいギャラリー・神奈川)

2008          13seas』(mois café・下北沢)

2009          CIRCLE展』(四谷CCAA ランプ坂ギャラリー)                                   Archives』(シンワアートギャラリー)

             神戸アートマルシェKAMに、川田画廊より出品(新神戸クラウンプラザ) 

【受賞歴】 

 

2007          パルテノン多摩公募展入選

【Crossroad誌:掲載記事】 『いつかすべてを受け入れる』(谷川千佳)(2013年8月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『いつかすべてを受け入れる』(谷川千佳)(20138月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年8月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「谷川千佳」さんの『いつかすべてを受け入れる』という作品です。 

作品タイトル:    『いつかすべてを受け入れる』(I will accept everything some day.)

 

いつかすべてを受け入れる.jpg

コメント 

近年、縄文ブームが巻き起こりつつあるようです。これは、新たな発掘や研究が進んで、縄文時代の土器や土偶が紹介され、その縄文文化によって表現される世界観に魅了される人たちが増えているためでしょう。縄文時代は、約15000年前から10000年くらい続きますが、15000年も前に土器を作っていた場所は、日本列島以外にはなかったそうです。また、縄文土器を作るには800度くらいの高温が必要で、これは金属の精錬もできるくらいの高温です。しかし、縄文人は金属をあえて用いずに、自然と一体化した生活、自然をあるがままに「すべてを受け入れる」生活を送っていました。

それに対して、ユーラシア大陸では、同じ頃に、シュメール文明が起こりました。シュメールでは、自然を測定・比較することで、体系化していきました。「文字」はそれによって生み出された代表的なものと言えるでしょう。その自然の体系化によって「分離感」が発生し、それが、今、私たちを苦しめている「自我」のもとになっていると言って良いのではないでしょうか?! 

縄文人のように自分自身を自然と一体化させるのではなく、測定・比較することで、「私は、〇〇・・・ではない」といった「巨大な空洞」が私たち自身の中にできてしまいます。しかし、この巨大な空洞を直視することは私たちにとって大変な恐怖となり、無意識のうちに、それを何とかして埋めようとひたすら努力することになります。しかも、この空間はブラックホールのように底なしで決して埋まることはありません。そして、その空洞に吸い込まれていったものは、いつか必ず、私たちの上から降ってきてしまいます。 

クリシュナムルティは言います。・・・「私たちはこの並外れた空虚を既知のもので満たそうとします。・・・その空虚を、さまざまな種類の知識、関係、物事で満たそうとします。・・・それが私たちの生存の過程です。」。そして、それをどうしたら良いのかという問いに対して、「あなたが「今あるもの」に進んで直面するとき、そのとき、それは終わります。なぜならそれは完全に変化するからです。・・・なぜなら、あなたが「今あるもの・現に存在するもの」を理解するなら、そのとき「今あるもの」は真実(実在)のものだから」と。 

本作品の作家は、「空虚な自我」をテーマに、「自らの存在自体が不確かなものであるという前提の下、人間の存在の意味・定義を探し求める」ために描き続けているそうです。そして、この作品のタイトルは「いつかすべてを受け入れる」で、背景には、生命の根源的な姿を表す「らせん構造」を配し、中心に描かれた女性には、自分自身の内部の自己・自我を見つめるという意味で、骨格が描かれており、そしてその内部には「万物を見通す眼」、いわゆる「プロビデンス・アイ」が描かれています。縄文人が自然界の現象をあるがままに「すべてを受け入れ」たように、作家自身がその「空虚な自我」を「あるがままに受け入れる」日も「いつか」ではなく、近いに違いありません。あるいは既に「すべてを受け入れ」ているかもしれません。 

略歴

1986年 富山県生まれ

2010年 神戸大学 発達科学部 卒業 

〈主な個展〉 

2009   「みんなその花を狙っている」(ART HOUSE・大阪)

2010 「わたしは夢のかけら」(YOD Gallery・大阪)

2012 個展(アートフェア京都2012・京都)

              「いつかすべてを受け入れる」(YOD Gallery・大阪) 

〈主なグループ展〉 

2007 「無色無形無言(パフォーマンス)」 (神戸アートビレッジセンター)

         「アートストリーム2007」(サントリーミュージアム天保山・大阪)

2008 GEISAI #11」(東京ビッグサイト)

2009 「コミックアートフェスタ009」(Hep Hall・大阪)

         「アートストリーム2009」(サントリーミュージアム天保山/YOD Gallery賞受賞)

2010 GEISAI #14」(東京ビッグサイト)

         ART OSAKA 2010」(堂島ホテル・大阪/YOD Galleryより出品)

          兵庫県立美術館ミュージアムショップ展示(神戸)

         ULTRA 003(スパイラル・東京)

         SHAKE ART!EXHIBITION 2010(みやこめっせ・京都)

2011 ASIA TOP GALLERY HOTEL FAIR HK11Mandarin Oriental・香港)

         YOUNG ART TAIPEI 2011Sunworld Dynasty Hotel・台北)

         ART OSAKA 2011(グランヴィア・大阪)

         TASTING ART EXHIBITION(阪急百貨店メンズ館・大阪)

         HANKYU MEETS ART SUMMER(阪急うめだ本店・大阪)

         MAISON DART presents Ma Chanson Favorite Vol.4″(梅田イーマ・大阪)

         CHIC ART FAIR 2011Cite de la Mode et du Design・パリ)

         萬福寺芸術祭 -EN- 2011(黄檗山萬福寺・京都)

2012 YOUNG ART TAIPEI 2012Sunworld Dynasty Hotel・台北)

         あたらしい謎がきた(門真市民文化会館・大阪)

2013   「ガーリーズエンジェル フルーツスロットル」(展現舎・大阪)

 

          「え・がく展」 (ondo/大阪)

【Crossroad誌:掲載記事】 『cakra #1』(木村佳代子)(2013年7月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『cakra 1』(木村佳代子)(20137月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年7月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「木村佳代子」さんの『cakra 1』という作品です。 

作品タイトル:    cakra 1』(mixed media91x91cm

Kimura2013-01.jpg

 コメント 

アインシュタインといえば多分知らない人はいないでしょう。その彼が生涯を通じて追い求めたものは、自然界の多様性に潜む統一的な理論です。彼の試みによって、1905年の特殊相対性理論、1916年の一般相対性理論が考案されましたが、彼はその後の後半生を「統一場の理論」に注ぐことになりました。 

彼は、自然界には、全ての力を生み出す根源となっているただ一つの場が存在すると考えました。最終的には自然界の4つの力をすべて統一しようと、理論的に試みたのですが、存命中には解明することができませんでした。しかし、それは、現在、「万物の理論」として研究が続けられています。 

彼を駆り立てていたものは何だったのでしょうか?彼は言います:「人間にはその宿命である限界や無力から解放されているのを感じる瞬間があるのです。そのような瞬間に人間が思い浮かべるのは、自分自身が小さな惑星のある場所に立っていて、永遠なるもの、不可思議なものが放つ、冷厳ではあるが心からの感動を呼び起こす美しさを、茫然として見つめている光景です。その時生と死が一つに流れ込み、そしてそこには進化も運命もなく、ただ存在だけがあるのです。」。

さらには、「私たちが計り知ることができないもの、それは実際に存在していて、それ自身を最高の叡智、最も輝かしい美として顕現させているのですが、私たちの能力の乏しいうちは、その形態だけしか理解できないということに気づき、そのような知識、そのような感情、それこそが信仰心の確信なのです。」と。 

彼の言う「信仰心」とは、おそらく宗教的なものとは異なるでしょうが、彼は、その「存在」を感じることで、「生命の根源」を垣間見たことでしょう。 

さて、この作品ですが、タイトルが『cakra』で、ミクロ・コスモスからマクロ・コスモスを知覚しようという試みのようにも思われます。作家は、ここで、あえて「切花」の「しゃくやく」を描くことでアインシュタインが「ただ存在だけ」と呼んだ、主体と客観、ミクロ・コスモスとマクロ・コスモス、生と死あるいは動物や植物といった概念を超越した「場」における生命の姿を描こうとしているのではないでしょうか? 

略歴 

1971年 東京都生まれ

1994年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業

1996年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程 修了

1999年 東京藝術大学大学院美術研究科博士課程 満期終了 

受賞歴

1994年 O氏記念賞 大和銀行蔵

1999年 野村賞 芸大美術館蔵 

個展

1995年 ギャラリー美遊

1996年 村松画廊

1997年 ギャラリー美遊

1999年 東京藝術大学陳列館

2000年 ギャラリーQ

2003年 ギャラリー覚

2007年、2009年、2011年 ギャラリークローゼット 

主なグループ展

1995年 [ Points Of View ] (ベリーニの丘ギャラリー/横浜)

1996年 [ Ljubliana Glaphic Art Biennial ] (リュブリアーナ/スロベニア)

1997年 [ 共鳴する記憶 ] (村松画廊/銀座)

1998年 [ PLIX WHANKI  SEOUL/BERLIN/TOKYO ] (WHANKI Museum/ソウル)

      [ 新世紀へ・平面PART1 ] (村松画廊/銀座)

1999年 [ ONE DAY ONE SHOW ] free soace 3/青山)

2013年 [ MATURE2013 ] (ギャラリーQ/銀座)

      [ 初夏のメカニズム ] (ライト商会/京都) 

個展予定 

201374日~16日 ギャラリークローゼット(西麻布・東京)

【Crossroad誌:掲載記事】 『自慢のフォーク』(横川ヨコ)(2013年6月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『自慢のフォーク』(横川ヨコ)(20136月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年6月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「横川ヨコ」さんの『自慢のフォーク』という作品です。

作品タイトル:    『自慢のフォーク』(Acrylic on canvas  1620×1303mm, 2010 

130422_自慢のフォーク2010.jpg

 

コメント 

昔の子供たちの遊びといえば「怪獣ごっこ」や「スーパー戦隊ごっこ」であろうか?!怪獣が登場したのは、1966年からスタートした「ウルトラQ」や「ウルトラマン」からで、そのウルトラシリーズによって「怪獣ブーム」が始まった。それまで子供たちの遊びといえば「忍者ごっこ」であったが、それが「怪獣ごっこ」に変わっていった。怪獣ブームは一種の社会現象のようになり、教育ママを文字って「ママゴン」なるものまで登場した。

1975年には、「秘密戦隊ゴレンジャー」が登場して、スーパー戦隊ブームが到来する。このスーパー戦隊ものは、主人公と数名のチームが、色分けされたマスクとスーツで武装したヒーローに変身し、怪人と戦うというコンセプトで、名前や内容を少しずつ変えながら、現在でも放映されており、依然として子供たちには大人気だ。 

ただ、子供たちの遊びそのものは、この数十年の間に大きく変化しているようだ。遊びの場が「外」から「内」へ変化したこと、「一人で遊ぶ」ことが多くなったこと、そして以前にはなかった「テレビゲーム」の登場が大きな変化の原因となっている。多くの識者が指摘するのは、現代の子供たちが、自分で面白さを見つけたり、探し出したりするのが、不得手になっているのではないかということだ。テレビゲームは、基本的にあそび方が決まっていて、遊び方自体あるいはそのルールを変更することはできない。つまり、モノに遊びが規定されてしまうということになるし、みんなが同じ枠内での面白さを求めていることになる。遊びの変化は、子供たちにどのような変化を及ぼしているのだろうか? 

さて、横川ヨコの「フシギ共和国」ではどうだろうか?「フシギ共和国」には、子供しかいないのだろうか?頭にステーキやパンを乗せているのはなぜだろうか?いつも無機質な表情をしているのはなぜだろうか?子供たちの間に緊張感が漂っているのはなぜだろうか?

「フシギ共和国」の子供たちは、「奔放」だ。そして「一人ではない」。良くも悪くも「他者とのつながり」を感じる。また、一見、無茶なことをやっているようで、何か秩序のようなものがあるようでもある?!それらの表れ方が、「戦い」であろうと、「微妙な(緊張)関係」であろうと、社会というのは、そのような関係・つながりから成り立っているものだし、それでないと人など存在していないに等しい。「フシギ共和国」の子供たちは、現代の子供たち、否、私たち現代人が失ったものを突きつけているのではないだろうか? 

略歴 

1983   愛知県生まれ

2008年 東京芸術大学美術学部デザイン科卒業 

個展

2011   「ピクニック」(たけだ美術、銀座) 

グループ展

2010   「シェル美術賞展2010」(代官山ヒルサイドフォーラム、東京)

2011年 「東日本大震災復興支援チャリティ『Art for Tomorrow』」(トーキョーワンダーサイト渋谷、

東京)

「ガラパゴス・ファイン2」(たけだ美術、銀座)

2012年 「シェル美術賞展2012」(国立新美術館、東京) 

受賞歴

2006   世界ポスタートリエンナーレトヤマ2006 入選

2010   シェル美術賞2010 入選 

2012   シェル美術賞2012 グランプリ

【Crossroad誌:掲載記事】 『赤い花』(辻川奈美)(2013年5月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『赤い花』(辻川奈美)(20135月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年5月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「辻川奈美」さんの『赤い花』という作品です。 

作品タイトル:    『赤い花』(水彩絵具)

 

130323_赤い花_辻川奈美.jpg

コメント: 

意外な感じを持たれる方もいるかもしれないが、この作品を見ていて般若心経の一節である「色即是空、空即是色」という言葉が浮かんできました。

かなり有名な言葉なのでほとんどの方がご存知だと思いますが、「色」はこの世に存在する物質的現象で、私たち個々人もこの「色」です。それに対して「空」というのは色を存在せしめる「様々な相互関連性」(一般的には「因縁」というようです)で、必ずしも固定的な実態があるものではないそうです。 

西欧では、このような相互関連性という考え方は薄く、デカルトに見られるように物質と精神を分離して考える二元論を中心にしてきました。このように人を分けることから発して、それ以外の世界も個々の独立したものから成り立っているという見方が中心となっています。

これによって、西欧の(自然)科学は飛躍的に発展し,物質をどんどんより小さな存在へと分解をして、現在では素粒子レベルまできています。 

あまり二元論的な話にはしたくないのですが、東洋の考え方はそれとは方向性がかなり異なります。存在そのものを相互関連性から捉えていきますので、物質を細かく分解していくのではなく、それとは反対に、全体を有機的に捉え、認識される物質は他との関係で存在するものととらえます。従って、すべての事柄が有機的で、流動的です。そこには、「時間」と「変化」も織り込まれていくことになります。そしてまた、ただ単に物質的なだけではなく、「精神的」なものともなります。 

さて、この「赤い花」という作品ですが、二言論的な観点からは奇妙な点が沢山あります。画面隅々にまで細かい書き込みがなされ、全面に日差しが当たり影がほとんど見られないこと、タイトルにある「赤い花」が他のモノに比べて非常に大きいこと、場所は多分日本なのでしょうが、象やキリンなどが登場すること、などなど。しかし、その明るさや赤い色が全面を覆うことで、より日陰(影)の存在を意識させられたりと、全体としては、全く違和感を感じないのです。一見、バラバラであるようなそれぞれの存在が、絶対的なものではなく、相対的で、そしてまた流動的で、うまく溶け合ってしまっています。 

そのような印象を受けるのは、きっと作家自身が、自身の存在そのものに、他の存在との相互関連性や、自然界全体の合一性などを感じ、ポジティブに向かい合っているからなのではないでしょうか・・・ 

略歴: 

1978年:               東京生まれ 

個展: 

2012年:               「希代夢幻」 TENGAI GALLERY/東京

[今後の個展予定]

2013913日~1015日 TENGAI GALLERY/東京 

受賞歴: 

 2008年:             「イラストレーション」ザ・チョイス第160(山口晃選)

 2010年:             「イラストレーション」ザ・チョイス第175(会田誠選)

                           「イラストレーション」ザ・チョイス第28回年度賞入賞

 

 2011年:             「イラストレーション」ザ・チョイス第177(天明屋尚選)

【Crossroad誌:掲載記事】 『箱庭』(冨樫早智)(2013年4月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『箱庭』(冨樫早智)(20134月号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年4月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「冨樫早智」さんの『箱庭』という作品です。 

作品タイトル:    『箱庭』

130120_箱庭.jpg

コメント 

冨樫の作品には、それぞれストーリーがあるそうだ。「電脳世界」に興味があるそうで、個々の作品のストーリーはその電脳世界でそれぞれ展開されるものだ。「電脳世界」では、「攻殻機動隊」というアニメが有名だが(作家がその影響を受けたかどうかはわからないが)、筆者は最近ほとんどアニメを見ないので、残念ながらそのアニメは名前だけで内容をほとんど知らなかった。「攻殻機動隊」は映画「マトリックス」にもかなりの影響を与えたようで、仮想空間であるマトリックス(「電脳世界」)に入る際に後頭部にプラグを挿し込んだり、人間が培養槽のようなカプセルに入れられたり、というような基礎的な設定でかなりの共通項が見られるようだ。 

「マトリックス」では、主人公のトーマスが、起きているのに夢を見ているような感覚に悩まされ「今生きているこの世界は、もしかしたら夢なのではないか」という、漠然とした違和感を抱くことから物語は始まり、「起きろ、ネオ」「マトリックスが見ている」「白ウサギについて行け」という謎のメールを受け取ったことをきっかけに、自身が生きていると思っていた世界こそが、コンピュータによって作られた仮想現実だったと気付くことになる。

この『箱庭』という作品では、「電車」「襖」「トンボの眼」などで囲まれた不思議な空間に入り込んだ少女と少年が描かれている。身近なところで不思議なことが起こる少女が気になって近づいていくうちに、少年もこの不思議な空間に入り込んでしまったようだ。2人には両側から、トンボの頭が迫ってきている。トンボの眼は大きく、複眼で、270°も視野があることから、物事を監視しようという場合のシンボルなどに使われるが、ここでもまさに、2人が監視されていることを表しているようだ。2人の足元は、パックリと黒い未知の空間が口を開けているが、その先はどこにつながっているのだろうか? 

「攻殻機動隊」や「マトリックス」などでは、「電脳世界」(仮想世界)を作り出した主体こそ異なるが、そこに登場するモノは、「電脳世界」が認識・拡大するようになると、それぞれがその存在を主張し活動するようになる。アノマリーも発生する。また、電脳世界そのものを理解するアノマリーも発生し、自己増殖していく。登場するモノは、自身の意思で動いているのか、はたまたそれらの行動自体がプログラムされていることなのかわからなくなり、アイデンティティ・クライシスに陥る。 

作家は、電脳空間に様々な物語(プログラム)を作っているが、それはこれからもどんどん増えていくだろう。ひょっとすると作家自身がコントロールできないようなアノマリーが発生するかもしれない。また、そのアノマリーが、作家の作り出す電脳世界・マトリックス(仮想世界)を破壊してしまうようになるかもしれない。その先にはどのような世界が広がっているのだろうか?「リロード」か?…作家、電脳世界そしてプログラムやアノマリーなどが共存していくことはできるのだろうか?レボリューション」か? 

略歴 

2010年  女子美術大学版画専攻 卒業

2012年  女子美術大学大学院美術研究科版画領域 卒業 

個展

2011年  「冨樫早智展」Gallery 銀座フォレスト(東京・銀座)/(’12年) 

グループ展

2009年  「日本版画協会展第77回版画展」東京都美術館(東京)/(’10、’11、’12年)

2012年  「女子美術大学大学院版画終了制作展」シロタ画廊(東京)

      「GEISAI16」東京流通センター第二展示場(東京)

      「正方形展」ギャラリーりんごや(東京)

 

2013年   「新春展」シロタ画廊(東京・銀座)

【Crossroad誌:掲載記事】 『アカ』(増村真実子)(2013年1・2月合併号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『アカ』(増村真実子)(201312月合併号) 

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年12月合併号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。 

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「増村真実子」さんの『アカ』という作品です。 

作品タイトル:    『アカ』

技法:乾漆、木彫、彩漆

                                     素材:漆、麻布、顔料、木、金

                                     39cm × 14cm × 12cm(台座含む)

 

aka_2012_02.jpg

aka_2012_03.jpg

aka_2012_04.jpg

 

<コメント> 

初めて見たときは、樹脂製の「アニメに登場するフィギュア」かと思ったが、しかし、アニメのフィギュアに感じるようなPOPな躍動感というよりも、何か懐かしい郷愁感のようなものを感じさせる作品だ。それもそのはずで、樹脂製ではなく、「漆」と「乾漆法」という伝統的な素材と技法を用いたものだそうだ。 

乾漆法というのは、元々は中国で編み出されたものだが、日本でも古くから用いられているもので、まず、木製の芯木で像の骨組みを作り、その上に粘土を盛り上げて像の概形を作り、その上に麻布を麦漆で貼り重ねて像の形を作るものだそうだ。日本では、7世紀から8世紀にかけて、仏像を作るのに用いられ、その代表的な作品に、「東大寺三月堂の不空羂索観音菩薩像」がある。

東大寺は、もちろん、大仏堂が一番有名ですが、それ以外に2つの堂が作られました。それらは二月堂と三月堂(法華堂)です。カエサル以前のローマでは、2月が1年の最後で、3月が始まりで、この東大寺の2つの堂の命名もそれに関係している。二月堂では、春の儀式として「お水取り(火の浄化)」が行われる。これはキリスト教の「サクラメント」の考えを継ぐものと言われ、浄めの儀式です。そして、清めの儀式のあとに行われるのが、宇宙の根源と一体化することです。三月堂はそれを行うための場所で、宇宙から神聖な光を吸収し、また、それを地上のすべての人々あるいは動植物に届けることでした。

そのために不空羂索観音菩薩像が置かれています。この菩薩は、地上世界の邪悪なるものを見つけると、それらを光を出すことで消し去ってしまいます。それに使われるのが、名前にも入っている「羂索」で、いわば捕縛するための縄のようなものです。宇宙からの響きを受け止めて、それを光として発するためには、宇宙と周波数を合わせる必要があり、そのために縄文からのイノチの響きを伝えるニヒスイの勾玉が使われました。それゆえに不空羂索観音菩薩像の宝冠には無数のヒスイの勾玉が付けられているのです。 

この作品にも、縄文から使われていた「漆」が使われており、この像が、大人でもなく子供でもない少女で、また、少女といってもどこか中性的な感じがするところは、仏像本来の姿に近いような印象を持ちます。また、見る角度によって、表情が変わり、どこか懐かしいような印象を持つのは、見る人とこの作品の魂が、お互いが縄文から現代まで引き継いているそれぞれのDNAに響き、共振しているのかもしれません。 

<略歴> 

1986                 漆芸家 増村紀一郎(重要無形文化財保持者 - 人間国宝)の次女として

東京に生まれる

2009                 東京藝術大学美術学部工芸家 漆芸 卒業

2011                 東京藝術大学大学院美術研究科工芸専攻 漆芸 修了

 展覧会歴 

2012                 個展『カサブタ』( waitingroom、東京)

グループ展『Gallerist Meeting×SOMEWHERE 非日常のライフスタイル』( 渋谷ヒカリエ 8/ CUBE 1, 2, 3、東京)

アートフェア『New City Art Fair』( hpgrp GALLERY NEW YORK, New York

2011                               グループ展『シブヤスタイルvol.5』( 西武デパート渋谷店8階オルタナティブスペース、東京)

アートフェア『ULTRA004』(SPIRAL、東京)

グループ展『漆芸の未来を拓く - 生新の時2011 -』(石川県輪島漆芸美術館、石川)

グループ展『Blijven』( G671gallery、東京)

2010                 グループ展『第三回国際現代漆芸展』( 福建省美術館、中国)

グループ展『うるしのかたち展』(藝大アートプラザ、東京)

グループ展『第5回藝大アートプラザ大賞展』(藝大アートプラザ、東京)

2009                 グループ展『漆芸の未来を拓く - 生新の時2009 -』(石川県輪島漆芸美術館、石川)

 受賞歴 

 

2011                               東京藝術大学卒業・修了作品展 修了作品日本ペイントデザインセンターアワード受賞

【Crossroad誌:掲載記事】 『入口のある部屋』(小林香織)(2012年12月号)

 【Crossroad誌:掲載記事】 『入口のある部屋』(小林香織)(2012年12月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年12月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。
 
毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。
 
今回は、「小林香織」さんの『入口のある部屋』という作品です。
 
作品タイトル:『入口のある部屋』
 
121128_Room_with_entrance.jpg
 
コメント:
 
この作品を見ていて、もうかなり古い作品だが、「コレクター」という映画を思い出した。アカデミー監督賞を3度も受賞しているウィリアム・ワイラーが監督で、彼の代表作でもある「ベン・ハー」とは対極にあるようなほとんど主人公である2人しか登場しないような映画です。その作品では、蝶の採集が唯一の趣味という孤独な銀行員フレデリックが、前から気に入っていた美術大学に通う女性ミランダを誘拐し、地下室に監禁します。フレデリックは、その地下室にミランダが気に入りそうなものを備え、彼女が不自由なく生活出来るような環境を整えることで、彼女が彼のことを理解してくれ、彼女の愛を得られると考えていたのですが、彼女はそのような監禁状態からの自由を求めて逃れようと抵抗します。結局、彼女は衰弱して亡くなってしまい、フレデリックは別の女性を次のターゲットとして定める、というものです。
 
この作品のタイトルは、「入口のある部屋」となっていますが、部屋というものは通常入口があるものですから、あえて「入口がある」とされているのは、逆になにか閉鎖された空間・環境というものが想起されます。また、上に向かう階段があることや、窓のない少し暗い様子から、先の映画「コレクター」で描かれたような「地下室」が連想されます。登場人物は、女性が2人、男性が3人と多く、鏡に映っているのも人格を持った人のようで、これらの様子からは女性が監禁されているように見られます。
これらの女性は、ミランダのように逃げようとしているのでしょうか?逃げたいと思っているのでしょうか?あるいはどうしたらよいかわからなくなってしまっているのでしょうか?
 
また、この場面は、「現実」なのでしょうか?あるいは「非現実」の世界なのでしょうか?「非現実」であれば、逃げようとしているのは誰なのでしょうか?どこから、何から逃げようとしているのでしょうか?これをイメージしているのは誰なのでしょうか? 
 
この作品に登場する2人の女性は、男性に強い視線を向けていたり、あるいは男性の手を強く掴んでいたりと、自由に向けての強い意志のようなものが感じられます。これらの結果がどうなるかはわかりませんし、これらが「現実」なのか、あるいは「非現実」なのかもわかりません。しかし、これらの様子からすると、心にかかっている強いストレスを緩和しよう、回避しようという「防衛的行動」が行われているのではないでしょうか?作品に登場する女性たちが逃れられたかどうかは定かけではありませんが、この「現実」ないしは「非現実」を作り出した人は、その作業のプロセスを通して、その目的を達成しているのではないでしょうか・・・
 
略歴:
 
1986年  埼玉県生まれ  
2008年  武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業  
 
グループ展 
 
2011年  「JAPANCONGO」 Le Magasin-Centre National d’Art Contemporain、
(グルノーブル・フランス 
2010年  「VISIONS / RECOLLECTIONS 」 (山本現代、東京) 
2009年  「Parabiosis」 (SOKA ART CENTER、台北)  
2008年  「横浜アート&ホームコレクション展」 (横浜ホームコレクション、神奈川)
「YAMAMOTO GENDAI Future Feature vol. 4 ―第三者―」 (山本現代、東京)
「第31回東京五美術大学連合 卒業・修了制作展」 (国立新美術館、東京)
「平成19年度 武蔵野美術大学卒業制作展」 (武蔵野美術大学 、東京) 
2007年  「理化学研究所展示プロジェクト2007」 (理化学研究所横浜研究所、神奈川)
「ザジーと馬と海」 (武蔵野美術大学芸祭、東京)
「赤いけむり展」 (武蔵野美術大学課外センター展示室、東京) 
2006年  「ろっこつ5本展」 (武蔵野美術大学芸祭、東京)
  「油絵学科3年コンクール」 (武蔵野美術大学、東京)
「混老頭」 デザイン・フェスタ・ギャラリー、東京 
2005年  「油絵学科2年 進級制作展」 (武蔵野美術大学、東京)
  「コスモスコスモ展」 (Orange Gallery、東京) 
 
受賞歴 
 
2007年  「理化学研究所展示プロジェクト2007」 副所長賞  
2006年  「油絵学科3年コンクール」 川口起美雄個人賞  
2005年  「油絵学科2年 進級制作展」 島州一個人賞  
 
 

【Crossroad誌:掲載記事】 『夢から醒めたら』(菅野静香)(2012年11月号)

 【Crossroad誌:掲載記事】 『夢から醒めたら』(菅野静香)(2012年11月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年11月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。

今回は、「菅野静香」さんの『夢から醒めたら』という作品です。

作品タイトル:『夢から醒めたら』

夢から醒めたら.jpg

コメント:
 
「夢から醒めたら」、どうなっていたのだろう?何が起こっていたのだろう?
 
中国で老荘思想の始祖の一人と言われる荘子による有名な説話として「胡蝶の夢」がある。
ある時、荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。 自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が醒めると、自分は荘周であった。
これは、荘周である自分が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か自分にはわからなかった、という説話だ。
 
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では違いがある。しかし、主体としての自分には変わりは無い。また、夢と現実というものが対立して現れるが、そのどちらが真実の姿なのか?胡蝶であるときは胡蝶であり、荘周であるときは荘周である。そのいずれも真実の姿であり、自分であることに何ら変わりはなく、どちらが真実の姿であるかを論ずることはあまり意味がない。それよりも、そのどちらをも肯定して受け容れ、その場でせいいっぱい生きてゆくことが肝要なのでしょう。「夢が現実か、現実が夢なのか?しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」と荘子は言っているのだそうだ。
一見、すべてを突き放してしまうような考え方に思えるが、逆にすべてを肯定的に受け入れているようでもある。
 
この世のものは、すべて変化していきます。万全と思われるものも、また儚いと思われるものも、すべて変化していきます。すべてがその変化していく過程に過ぎません。「儚い」と見えるものも、「万全」と見えるものも、本質においては何ら変わりのないものなのでしょう。
 
この作品では、「夢から醒めた」自分、あるいは「夢から醒めた夢を見た」自分なのかはわかりませんし、またそれにあまり意味はないかもしれません。しかし、そこにいる自分はコンセントとつながっており、そのコードを通じて「命のもと」となるようなエネルギーをもらっているかのようです。
その自分の姿を見つめる少女の真剣な眼差しからは、自分の生をあるがままに肯定的にとらえ、前向きに生きていこうというような強い意志が感じられます。
少女のワンピースに描かれた胡蝶がそこから飛び出して舞うこともあるだろうし、隣に描かれた百合の花はまだ蕾のままだがそれが咲く日もそう遠くはないだろう。
 
略歴:
 
1985年 東京都生まれ。
2010年 女子美術大学大学院美術研究科美術専攻(洋画研究領域)修了。
現在、同大学専任助手。
 
受賞: シェル美術賞2009本江邦夫審査員奨励賞
第30回損保ジャパン美術財団選抜奨励展秀作賞受賞。
 
個展:
 
2009年 「菅野静香~生まれいずるもの~展」 (相模原市民ギャラリー/神奈川)
「mystic」 (gallery坂巻/東京)
2010年 「菅野静香展」 (Shonandai MY Gallery/東京)
「菅野静香」 (gallery坂巻/東京)
2011年 「サヨナラサンカク」 (gallery坂巻/東京)
2012年 「世界のどこかに消えたこども」 (gallery坂巻/東京)

【Crossroad誌:掲載記事】 『凪』(星野有紀)(2012年10月号)

 【Crossroad誌:掲載記事】 『凪』(星野有紀)(2012年10月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年10月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。

今回は、「星野有紀」さんの『凪』という作品です。

作品タイトル:『凪』

120919_凪.jpg

 

コメント:
 
私たち人類が鳥のように翼をつけたり、あるいは風のように、自由に空を飛びまわることを夢見るようになったのはいつ頃からでしょうか?それは多分私たち人類が誕生して間もないころでしょうし、文字が誕生するよりもかなり前でしょうから、歴史が記録されるようになるはるか昔ということになるでしょう。
 
世界中どこに行っても、神々は空高く天空に住み、そして私たち人類は地上に暮らす、と古来から考えられてきました。それゆえ、神が住む天空に近いところを自由に飛び回る鳥は古来神の使いとも言われてきました。先日訪れた中国四川省の三星堆遺跡は今から4000年~3000年前の長江文明の中心となる無文字文化の遺跡ですが、その遺跡からは青銅製の巨大な「神樹」あるいは「宇宙樹」なるものが発掘されています。それは樹座の上に樹幹が置かれ、その樹幹には3層の枝があり、その枝には神の使いたる鳥たちがとまっています。これはまさに先の「天空」と「地上」の間に「人」が存在するという「天・地・人」を表したものでしょう。
 
翼をつけて空を飛ぶと言えば、聖書などに登場する「天使」が思い浮かびます。新約聖書のマタイやルカの福音書に登場する「受胎告知」の場面がやはり一番知られているでしょう。そこでは、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる場面です。天使は、キリスト教やユダヤ教などで、神の「使い」とされていて、一見、男性のような姿をしていますが、聖書では男性・女性といった概念は存在しないそうです。
 
しかし、東洋で西洋の天使に相当するものといえば、仏教などの影響を受けた「飛天」で、これは、仏さまの周囲を飛行遊泳し、礼賛する「天人」のことです。しかし、この天人は、西洋の天使と違い翼をもっていません。そして、多くは「天衣」をまとった女性像として描かれるため「天女」と呼ばれています。法隆寺金堂内陣壁画の飛天図は有名で、その姿は大変自然で優美なものです。
 
さて、本作品ですが、単細胞の私であれば、「飛翔」「飛天」「翼」などというタイトルをつけてしまっていたでしょう。描かれている少女には「翼」の「天衣」もありませんが、その両手に軽くまかれたレースは天から与えられたかのようです。しかし、少女の表情には何の恐れも不安も感じられません。それどころか、何か確固たる自信のようなものが感じられないでしょうか?もはや、少女には天から与えられたレースさえ必要ないでしょう。
「凪」という本作品のタイトルは、この少女の心の状態が大きく変化・成長したところをとらえたものなのかもしれません。
 
略歴:
 
1988年 栃木県生まれ。
現在: 筑波大学大学院芸術専攻博士前期課程在籍。
 
2010年 第64回二紀展入選

 

【Crossroad誌:掲載記事】 『出会い』(小林美佐子)(2012年9月号)

 【Crossroad誌:掲載記事】 『出会い』(小林美佐子)(2012年9月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年9月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。
 
毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 
 
今回は、「小林美佐子」さんの『出会い』という作品です。
 
作品タイトル:『出会い』
 

120822_出会い2011年_小林美佐子.jpg

コメント
 
小林さんの作品『出会い』で、もう何十年も前に教科書で読んだ菊池寛の短編小説を思い出した。
その昔、摂津の国に、中村新兵衛という侍大将がいた。彼は「槍中村」と呼ばれ、その三間柄の大身の槍の鉾先で、さきがけ殿の功名を重ねていたが、彼の「火のような猩猩緋の服折と、唐冠䋝金の兜」の姿は、戦場の華であり敵に対する脅威だった。ある日、彼が守り役をしていた主君の側腹の子から、初陣に手柄を立てたいと頼まれ、その服折と兜を貸してしまう。側腹の子は見事一番槍として手柄を立てる。しかし、黒皮縅の鎧に南蛮鉄の兜をかぶった中村新兵衛が二番槍として乗り込むと、敵の様子はいつもとは全く違っていて、彼は敵の付きだした槍に脾腹を突かれる・・・という話だ。
中村新兵衛自身も、服折や兜は自身の「形」だと言っていたのだが、彼の考えるその「形」と「実」と、敵が考えていた形と実とは全く異なるものだったということだろう。
 
人で考えた場合に形は多分「身体」ということになるのだろう。すると形に対するものとしての実は何のことだろう。多分、「精神」ということになるのだろう。この「身体」と「精神」との関係はその人にとってどのようなものだろうか?また、「身体」と「精神」はそれぞれ独立して存在することが出来るのだろうか?
 
この『出会い』では、中村新兵衛の服折や兜のように、「身体」にナース服やメイド服をまとっているが、これらをまとった時に、「身体」はどのように変化するのだろうか?あるいは変化しないのだろうか?その時、「精神」は変化するのだろうか?また、それらは人によってすべて異なるのだろうか?あるいは、衣服をまとわないで裸の状態だったらどうなるのだろうか?
 
自身の他に他者が存在する場合に、これらはどのようになるのだろうか?本作品では2人の少女の背景に大きな木のようなものが描かれているが、「出会い」が生じた場合に、この木のように新たなものが生まれるのだろうか?そして生まれるものとはいったい何なのだろうか?
 
また、「身体」を考える上で、「精神」(作者は自己意識と呼んでいる)はどのような存在なのだろうか?この作品を見ていると様々なことが浮かんできて、「私」「自身」の「身体」や「精神」という存在そのものがどのようなものだかわからなくなってしまう・・・
 
略歴
 
1985  神奈川県生まれ
2009  女子美術大学絵画学科卒業 
2011  女子美術大学大学院美術研究科版画領域修了
 
個展
 
2009  Zainul Gallery ダッカ バングラデシュ
2010  「小林美佐子個展-memory-」(カフェ フランジパニ:東京)
     「小林美佐子個展-記憶の断片-」(gallery forest:東京)
2012  シロタ画廊(東京)
 
グループ展他
 
2008  第33回全国大学版画展買い上げ賞受賞('10年買い上げ賞受賞)
2009  版画協会展入選('10年 賞候補)
     CWAJ現代版画展('10年)
     浜口陽三生誕100年記念銅版画大賞展準グランプリ受賞
    卒業制作作品JAM買い上げ賞受賞
2010  大野城まどかぴあ 版画ビエンナーレ展入選
2011  第11回浜松市美術館版画大賞展奨励賞受賞
     第8回高知国際版画トリエンナーレ
修了制作作品大久保婦久子賞受賞
 

【Crossroad誌:掲載記事】 『ツルコケモモの前で』(寒河江智果)(2012年8月号)

 【Crossroad誌:掲載記事】 『ツルコケモモの前で』(寒河江智果)(2012年8月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年8月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「寒河江智果」さんの『ツルコケモモの前で』という作品です。

作品タイトル:『ツルコケモモの前で』

 

ツルコケモモの前で3F.jpg

 

コメント:
 
寒河江智果さんは、現代の美人画を描く作家です。女性からは、「この絵みたいな女性になりたい。憧れ。」と思われるような作品を描いてみたいそうです。
 
現代では、「美人」といえば通常は女性のことですが、もともと「人」という字は男性を社会的に指すことが多かったようで、古語では女性ではありませんでした。また、時代時代で美人(美女)の基準も大きく変わってきているようです。時代が同じでも地域や文化の違いでも、その基準は大きく異なるようです。
中国では、四大美人と呼ばれる女性たちがおり、多分、日本ではその中で楊貴妃が一番知られていると思いますが、最近では、彼女が実際はかなりふっくらした女性であったことが分かってきています。彼女は唐の時代の人ですが、その直前の隋の時代まではどちらかといえば柳腰の細くてスリムな女性が美人とされていたようで、わずか30~40年でその基準が変わってしまっていることになります。
 
先ほどの中国の四大美人とは、西施(春秋時代)、王昭君(漢)、貂蝉(後漢)、楊貴妃(唐)のことです。彼女たちのその美しさは、「沈魚落雁・閉月羞花」という四字熟語であらわされています。西施には、彼女が川で洗濯する姿を魚たちが見て泳ぐのを忘れてしまったという言い伝えがあり、王昭君は、彼女の姿と悲しい調べに魅入られて雁が次々と空から落ちてきたとされ、蝶蝉は、彼女が物思いにふける姿の美しさに、月が恥じて雲に隠れてしまったとされ、更に楊貴妃は、彼女が後宮を散歩すると、庭の花が気圧されてしぼんでしまったと言われており、それらが四字熟語になったものです。
その中で、貂蝉は三国志演義の呂布や董卓と絡めて出てくるのでご存知の方も多いのですが、架空の人物の可能性が高いようです。また、美人というのは、時の権力(争い)とも関係することが多く、その美しさそのものが原因で、「傾国」の美人とも呼ばれる人が多くいます。先の4人で言えば、西施、貂前、楊貴妃がそう呼ばれています。
 
さて、寒河江さんは、これからどのような美人を描いていくのでしょうか?「現代の空気感」という言葉を使われていますが、日々の生活を、一生懸命、前を向いて、明るく頑張っている女性たちなのではないでしょうか?・・・うーん、これは私自身が既に寒河江マジックにかかってしまっているかもしれないですね・・・
 
 
略歴
 
1977年 東京都に生まれる
2001年 女子美術大学絵画科日本画専攻卒業 
 
個展
 
1999年 ピガ原宿画廊2
2000年 ギャラリー銀座フォレスト ’03、’04、’05
2001年 吉祥寺ギャラリー ’02、’03
2006年 「蝶よ花よ」ギャラリーアートもりもと(銀座)
2007年 「花恋」ラブスク・ギャラリー(新宿)
2008年 「CATS & GIRLS」gallery nike(銀座) 
「日本画による現代の美人画」西武渋谷店プラチナサロン
2009年 「秋の花園」gallery nike(銀座)
2010年 「愛逢月」ギャラリーアートもりもと(銀座)
2012年 「若葉・若草」ギャラリーアートもりもと(銀座)
 
グループ展他
 
1999年 ササタコ展 (ギャラリー銀座フォレスト)
SHAN SHAN 2000年春夏コレクション用DMイラスト&パターンイラスト担当
2002年 私の愛する一点展 (梅野記念絵画館、ギャラリー和田・銀座)
児童文芸絵本ギャラリー2002出品 ’03、’05、’06、’07
2003年 トーキョーワンダーサイト0号展入選
2006年 フリーマガジン「東京働女100」(発行/(有)ハンドレッド)の表紙を担当する
2008年 アートフェア東京2008/ギャラリーアートもりもとブース(東京国際フォーラム) 
カオの形・貌展(gallery nike・銀座) ’09、’10
「コンテンポラリーアートフェア/シブヤスタイルvol.2」西武渋谷店
2009年 アートフェア東京2009/ギャラリーアートもりもとブース(東京国際フォーラム)
「コンテンポラリーアートフェア/シブヤスタイルvol.3」西武渋谷店
 

 

 

【Crossroad誌:掲載記事】 『咲く花』(岩渕華林)(2012年7月号)

 Crossroad誌:掲載記事】 『咲く花』(岩渕華林)(20127月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年7月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。 

今回は、「岩渕華林」さんの『咲く花』という作品です。

作品タイトル:『咲く花』

120621_写真_咲く花.jpg

コメント:
 
「ハリネズミのジレンマ」という言葉があります。寒空の下にいる2匹のハリネズミが、お互いに身を寄せ合って温めたいが、針が邪魔をして近づけないという、ドイツの哲学者ショーペンハウエルの随想録に収められた寓話によるものだそうです。心理学的には、「両者が近づけない」という否定的な意味と、「両者にとってちょうど良い距離を見出す」という肯定的な意味の両方で使われるといいます。
もともとはハリネズミではなく「ヤマアラシ」だったのが、「新世紀エヴァンゲリオン」第4話のサブタイトルに「ハリネズミのジレンマ」として使用されてからハリネズミとなったという説があります。
尚、実際のヤマアラシは針の無い頭を寄せ合って体温を保ったりしているそうです。
 
いずれにしても、社会生活を営む私たちにとって「自己の自立」と「相手との一体感」の双方を追求するための「距離感」は大切で、一般的な人間関係はもとより、男女の間についても同様です。近づきすぎて「傷つけ」また「傷つき」、一旦、大きく離れた後に、また再び勢いがついて近づきすぎてしまう。その繰り返し・・・
「適正な距離」を見出すためには、相手の針の長さを知ることと同時に、自分自身の針の長さも知らなければなりません。
 
本作品のタイトルは、「咲く花」です。花弁のようなミニのチュール・スカート(?)から、めしべを思わせる脚が出ています。そのめしべの周りには早くも蝶が舞い、そして、めしべの近くには花粉が舞っているようにも見えます。しかし、普通の状況と違うのは、めしべのような脚につけたストッキングからは、本来ないはずの刺が出ていることです。ストッキングと足にはいたシューズは体と一体化してしまっているようにも見えます。これでは近づく蝶を傷つけてしまい、ひいては自身の存在自体を危うくしてしまいます。
 
この刺は、花の成長過程と共に無くなっていくのでしょうか、はたまた刺があっても、蝶との間で適切な距離感・関係を持つことが出来るのでしょうか?これには花だけでなく、蝶という「相手」側の対応の問題もあるでしょうが、蝶は刺の存在に気付かないかのように近づいてきています。
 
まさに生の限りに「咲かんとする花」の真の姿とは何なのでしょうか?
「ハリネズミのジレンマ」といったような場合に、私たちは、相手を意識した距離感というものを考えてしまいますが、この作品からは、相手の側というよりも、まずは自分自身の針の長さを知らなければならないという「花」の真摯な意思のようなものを感じます。
 
略歴
 
1985年 神奈川県生まれ
2009年 東京造形大学美術学部絵画専攻版表現コース卒業
 
取扱い画廊:ギャラリー椿
(東京都中央区京橋3-3-10-1F TEL:03-3281-7808  www.gallery-tsubaki.jp)
 
個展
 
2012年 岩渕華林展(ギャラリー椿GT2)
2010年 岩渕華林展(ギャラリー椿GT2)
2009年 岩渕華林展(ギャラリー坂巻)
2007年 DRESS ROOM(node・東京造形大学学生運営スペース)
 
グループ展
 
2011年 Anothe side of Images(麻布十番ギャラリー)
YOUNG ART TAIPEI(台湾)
第20回佐藤美術館奨学生展(佐藤美術館)
第5回山本鼎版画大賞展(長野県上田創造館)
2010年 daegu art Fair 2010
KIAF2010(韓国)
ART TAIPEI 2010(台湾)
SUMMER FAIR (ギャラリー椿)
Art Fair in SPAZIO1 YOGA(Spazio1用賀)
消えない眼差しーその先の「風景」ー(相模原市民ギャラリー)
30th MINI PRINT INTERNATIONAL OF CADAQUES(スペイン)
9th Lessedra World Art Print Annual2010(ブルガリア)
現代アートコレクション展(松山三越)
2009年 Handle(養清堂画廊)
Soul of Asian Contemporary Art(韓国,Hakgojae Gallery)
Concentration展(ギャラリーQ)
Znews(九美洞ギャラリー・六本木)
2008年 Small Selections(ギャラリー坂巻)
岩渕華林/菅野静香展(ギャラリー坂巻)
HHHANDO-東京造形大学版表現コース-(文房堂ギャラリー)
2007年 Obsessional object(エリスマン邸・山手)
White collection(大倉山記念館)
Old girl(西洋館234番館・山手)
CAM - twin exhibition - (ねこのや店内・原宿)
山手111番館図書室(山手111番館)
2006年 Lightroom vol.3(神奈川県民ホール第一展示室)
明るい部屋(西洋館234番館・山手)
小野冴子・岩渕華林・吉田襟香展(東京造形大学学内)
横浜風景(三渓園・旧燈明時本堂)
受賞歴
第20回佐藤国際文化育英財団奨学生
第30回カダケス国際小版画展 入選(スペイン)
第9回レッセドラ国際版画展 入選(ブルガリア)
第7回三菱アートゲートプログラム 入選
第2回NBCメッシュテックシルクスクリーン国際版画ビエンナーレ 入選 
Via art2009 入選
第33回、35回全国大学版画展 町田市立国際版画美術館買い上げ収蔵賞
第13回ウッジ国際小版画展 入選(ポーランド)
 

【Crossroad誌:掲載記事】 『バラ科』(鈴木弥栄子)(2012年6月号)

Crossroad誌:掲載記事】 『バラ科』(鈴木弥栄子)(20126月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年6月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。

今回は、「鈴木弥栄子」さんの『バラ科』という作品です。

作品タイトル:『バラ科』

120520_鈴木弥栄子_バラ科.jpg

コメント

私たち人類は、太古、6000年前には、この地上に在るあらゆる存在と響き合うFEELの世界=「根源的紐帯」の中にいました。この時は、個体としては物理的に独立していても、すべての存在と見えない糸でつながっているという感性でした。しかし、この後、頭で考えるTHINKの世界が生じることで、大自然や生命体とは離れてしまいました。

これをもたらしたのは「アーリマン」と「ルシファー」という「分離感」です。アーリマンは、自分の領域を意識する、自他分離、物理的な分離感を持つ理性です。それに対して、ルシファーは、自分が思考すること(THINK)で、その場の「今」から離れる、思念の分離感です。

この2つの分離間の発達で、文明が発達してきたということなのですが、FEELの世界からTHINKの世界が発達することで、大自然や生命体から離れてしまうという問題が起こってしまいました。

私たちは、常に、「自他分離」ということを意識的に或いは無意識的に感じながら行動しています。本作品の作家は、自分で作った「皮膚」や、その皮膚を覆う長い髪や幾重にも重なるフリルの服などを、自他の境界線としてとらえます。本作品でも、ストッキングや、脚から生えているような刺も、皮膚と一体のものとしてとらえているように思われます。しかし、この自他の境界は定まったものではありませんし、その境界の存在意義自体も、自己の認識次第で変わってしまうものです。「他人を拒絶し居心地の良い孤独を作ってくれる繭」なのか、「自分自身を抑制し、縛り付ける」ものなのか、はたまた、刺のように他者を傷つけるものとなってしまうのか?作家はこれを「柔らかな檻」と表現しています。

その柔らかな檻の中には何があるのか?それは、場合によっては刺で守らなければならないような自己の「核」となるような「最も純粋」なものだろう。しかし、それは檻の中に閉じ込めておかなければならないものではなく、他者を意識することで、純粋な部分は残しながら、自身を大きく成長させ、その境界を外に向かって広げていくのかもしれない。本作品で、バラの木の純粋な核の部分から、2本の茎が互いに絡み合いながら、光り輝く天に向かって成長していくかのように・・・

(お知らせ)2012824日~98日に、FUMA Contemporary Tokyo | BUNKYO ARTにて鈴木弥栄子さんの個展開催予定です。

略歴

1979                 神奈川県に生まれる

2005                 東京芸術大学大学院美術研究科修士課程油画専攻 修了

個展

2010                 「柔らかな檻」 (FUMA Contemporary Tokyo | BUNKYO ART)

2012824日~98日に、FUMA Contemporary Tokyo | BUNKYO ARTにて個展開催予定。

グループ展

2011                 「蒼白の表層」 (FUMA Contemporary Tokyo | BUNKYO ART)

                            IN DEPTH」 (同上)

2009                 「ブンキョウアートコレクション展」 (同上)

2004                 「敏感肌」 (ギャラリーアートポイント)

2002                 「四人展」 (東京芸術大学学生会館)

アートフェア

2011                 行商〜スパイラルサーカス(青山spiral

2010                 ART TAIPEI 2010 (台湾)

アートフェア東京 2010 (東京国際フォーラム)

2009                 ART TAIPEI 2009 (台湾)

                            アートフェア東京 (東京国際フォーラム)

受賞

2008                 群馬青年ビエンナーレ2008

2005                 群馬青年ビエンナーレ2005

2003                 平山郁夫賞

【Crossroad誌:掲載記事】 『明日』(鈴木紗也香)(2012年5月号)

Crossroad誌:掲載記事】『明日』(鈴木紗也香)(20125月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年5月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。

今回は、「鈴木紗也香」さんの『明日』という作品です。

作品タイトル:『明日』

suzuki2011-03.jpg

コメント

私たちが、いまここに存在するというときには、常に3つの宇宙=コスモスが存在します。一つ目は、大宇宙(マクロ・コスモス)で、二つ目が人間・人の肉体で、小宇宙(マイクロ・コスモス)です。最後が心の宇宙(マインド・コスモス)です。かつて、私たち人類には、この3つのコスモスがうまく溶け合って暮らしていた時代がありました。人類は、この地上にある、あらゆる存在と響き合う「FEELの世界」の中にいました。これは、個体生命としては物理的には別であっても、全ての存在と見えない糸でつながっているという感性で、四季のめぐりから生み出される大地の豊饒さを受け、循環や生死それらすべてを一つととらえていました。

それが、頭で考える「THINKの世界」が発達していったことで、大自然や生命体との一体感から離れていってしまいました。このTHINKの世界は、物理的な領域を他者から分離し、さらに自分自身を自然現象から客観的な存在として切り離していきます。これが文明の性格といってもよいでしょう。

この「明日」という作品は、自身の内なる世界と、それとは別に存在する他者の世界、そしてそれらを包含・関係する大自然という世界を意識・俯瞰しています。自身がいる世界(「部屋」)と、「窓」を通して見える外の世界をとらえ、さらにそれらを鳥瞰するかのように描かれています。また、少女(作家自身か…)の姿や、外の明るい光などから少女(作家自身)の内なる世界を描かれています。

現代社会はまさにこのTHINKの世界が拡大して、私たちの存在自体が他社と切り離されて、お互いの存在を感じ、響き合うことが出来ないようになっています。しかし、そのなかでも、常に自分以外の個体生命と一体であろうとする「共感」が無意識的・意識的に働いています。作家の作品を制作するという作業は、このような共感を探し求めるものではないのでしょうか?

その共感が、見つかった時に、3つの宇宙=コスモスが一体化し、他者の姿の見え方も変わってくるのでしょう。

作品で描かれる少女には、光の束のようなものがすり注いでいますが、それは明るい「明日」を感じさせる3つの世界=コスモスとの見えない糸ではないでしょうか?

略歴

1988       ロンドン生まれ

2012     多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業

          多摩美術大学 大学院油画美術研究絵画専攻1年在籍

受賞歴

2009      「ヤング・アーティスト・ジャパン Vol.2」タグボート・オータムアワード

2010      「ワンダーシード 」

          「トーキョーワンダーウォール」

          Presentation & Exhibition

2011      「ワンダーシード 」

          「アーティクル賞/海老塚耕一賞」

          「シェル美術賞/島敦彦賞」

その他

2011   26回ホルベインスカラシップ奨学生

 個展

2010  ギャラリーMoineau、東京

2011   トーキョーワンダーサイト本郷,東京

2012  ギャラリーQ、東京

 グループ展

2009      「ヤング・アーティスト・ジャパン Vol.2

         タグボート・オータムアワード、東京

2010      「ワンダーシード」トーキョーワンダーサイト渋谷、東京

          「トーキョーワンダーウォール」東京都現代美術館、東京

          Presentation & Exhibition」アートコートギャラリー、大阪

          unknown possibility 04」新宿眼科画廊、東京

          YASMArt」ギャラリー色彩物語、東京

2011      Emerging Artists 2011- 今の絵画展」ギャラリーQ、東京

          The 3rd COREDO Womens Art Style 2011」コレド日本橋、東京

「ららぽーと東京オフィース・アート・エクスビション」ららぽーとマネジメント株式会社、東京

          「第4回アーティクル賞」ターナーギャラリー、東京

          「風景の気配2011」新宿眼科画廊、東京

          「シェル美術賞」代官山 ヒルサイドフォーラム、東京

2012      「多摩美術大学卒業制作展」国立新美術館、東京

          ART in LIFE」銀座三越ギャラリー、東京

 

【Crossroad誌:掲載記事】 『光』(Light)(安田梓)(2012年4月号)

Crossroad誌:掲載記事】『光』(Light)(安田梓)(20124月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年4月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。

今回は「安田梓」さんの『光』(Light)という作品です。

作品タイトル:『光』(Light

120321_安田梓_光_Light.jpg

コメント:

暫く前にダン・ブラウン原作の『ダ・ヴィンチ・コード』がトム・ハンクス主演で映画化された。その作品は、ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」には、イエス・キリストはマグダラのマリアと結婚しており、磔にされた時、彼女はキリストの子供を身ごもっていた、という暗号(コード)が含まれているということから名前が付けられている。そこでは、マグダラのマリアはイエスの子供をもうけ、そしてイエスの血脈(聖杯)が今も存在しているという、イエスの血脈と聖杯にまつわる謎を解き明かしていくものだ。

カトリックを中心とした西洋キリスト教美術では、マグダラのマリアは聖母マリアと対照的な存在として描かれることが多い。聖母は超越的な奇跡的存在であり、最大級に理想化されたものとして描かれるが、マグダラのマリアはエモーショナルな存在を象徴する女性として描かれてきた。

今回の『光』(Light)という作品の作家は、自ら「聖地」秋葉原のコスプレ撮影会に参加して写真を撮影したり、あるいは友人に自前のコスチュームを着せて撮影し、自身が理想とするモデルを写真に投影させ、その写真をもとにして、自らの世界をキャンバスに展開していく、という。作家はその自らの「世界」を、「アンダーグラウンド」、「オタク」という言葉を使って表現したりしている。

メイド服を身にまとった少女は作家にとって、そして鑑賞者にとってどのような存在で、どのように映るのだろうか?

マグダラのマリアはイエスの死と復活を見届ける証人とされているが、カトリックでは「罪の女」として関連付けられることが多い。しかし、カトリックから異端とされる宗派では、古くからイエスには花嫁としてのマリアが存在していたとされ、イエスと同等に敬愛され尊重されてきた。

作家は、自らの製作活動を通じて理想の少女(女性)像を創造しようとしているのだろう・・・作家にとっては、「罪の女」としてではなく、イエスの花嫁として、そして聖なる女性として敬愛される女性と同じような存在だろう。この作品がメイド服というコスチュームにもかかわらず通俗的ではなく、何故か神々しく映るのも、そのような作家の想いによるところ大きいだろう。であれば、『光』という作品タイトルも自然と理解できる。

略歴

1985年生まれ

2008年: 女子美術大学絵画学科洋画専攻 卒業

個展

2008年: 「オタ日和」 (FUMA Contemporary Tokyo | BUNKYO ART)

グループ展

2011年: 「IN DEPTH」 (FUMA Contemporary Tokyo | BUNKYO ART)

2009年: 「ブンキョウアートコレクション展」 (FUMA Contemporary TokyoBUNKYO ART)

2008年: 「ブンキョウアートコレクション展」 (FUMA Contemporary TokyoBUNKYO ART)

Art Fairs

2009年: アート台北 2009 (台湾|台北)

2009年: アートフェア東京 2009 (東京国際フォーラム)

2008年: 東京コンテンポラリーアートフェア(東京美術倶楽部)

2008年: 上海アートフェア(中国|上海)

受賞歴

2006年: 「第53回全日肖」-入選

【Crossroad誌:掲載記事】 『おままごと』(child's play)(伊藤純代)(2012年2・3月合併号)

Crossroad誌:掲載記事】 『おままごと』(childs play)(伊藤純代)(201223月合併号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年23月合併号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。

今回は「伊藤純代」さんの『おままごと』(childs play)という作品です。

作品タイトル:『おままごと』(childs play

120118_写真_おままごと.jpg

コメント

作家、伊藤純代、のこの作品は、「おままごと」というタイトルのインスタレーションだ。伊藤の作品は、幼児期の記憶や体験に深く根ざしているという。「Another girl」などでは、一見すると、2人ないしは複数の少女が描かれているようだが、実は、体がつながっているという作品を製作して、我々の持つアンビバレントな精神構造を表現してきた。

今回の作品でもそれは見事に表現されている。「おままごと」というどこかほんわかとした日本語のタイトルに比して、英語のタイトルは「child’s play」となっている。筆者の勝手な想像だが、これは米国のホラー映画「Child’s Play」と関係があるのではないか・・・この映画(シリーズ)では、米国の子供たちが大好きな「Good Guy Doll」を、殺人鬼チャールズ・リー・レイ(チャッキー)の魂が乗り移ることで一瞬にして大変恐ろしい存在に変えてしまい、チャッキーは生身の体を手に入れるために人々を襲うことになる。チャッキーは何度もバラバラにされるのだが、魂は残っていて、何度も蘇ってしまう。今回の作品でも、人形(Doll)やドールハウス(Doll House)がモチーフとなっている。

今回の作品に登場する人形は、無数の人形(リカちゃんとバービー人形)をバラバラにして、それらを再び集めることで、等身大の人形を製作している。「トンボの内側を見たいが為にその殻を剥ぐという行為をくりかえした」という作家の幼児期の体験を再現するかのようです。人形と共に配された観葉植物も人形同様にバラバラにされたパーツを再び集めることで製作されています。

現代社会では、旧来の地域社会がばらばらになって、その結果として、人の生と死ということも日常生活から切り離されてきていしまいました。しかし、生と死は切り離すことが出来ず、死を身近なものとして認識することで、その日々の生活がより輝いたものになる、のでしょう。

今回の伊藤の作品も、バラバラにした人形のパーツを再び集めるという、「生と死」そして「死と生」という生命の果てしないサイクルや、「生と死」から逃れることのできないことからくる我々の魂の宿命のようなものに切り込んでいくもの、なのだろう。

略歴

1982年 長野県生まれ。

2009年 武蔵野美術大学修士課程造形研究科彫刻コース修了

■ 個展

2011「おままごと」、NANZUKA UNDERGROUND

2011EMERALD」、ギャラリー現、東京

2011Girls Generationswitch point、東京

2010Another girl」ギャラリー現、東京

2009TOY BOX」ギャラリー現、東京

2009「秘め事」switch point、東京

■ グループ展

2011「シャッフル」、NANZUKA UNDERGROUND

2011「トーキョーワンダーウォール2011」、東京都現代美術館、東京

2011「第6回大黒屋現代アート公募展」板室温泉大黒屋、栃木

2010Toyota Art Competition とよた美術展2010」豊田市美術館、愛知

2010「第5回大黒屋現代アート公募展」板室温泉大黒屋、栃木

2009「武蔵野美術大学80周年記念大学院修了展'08もの語る」東京都美術館、東京

2009AMUSE ART JAM 2009」京都文化博物館、京都

2008cross section」武蔵野美術大学内、東京

■ 受賞

2011「トーキョーワンダーウォール公募2011」大賞

2011「第6回大黒屋現代アート公募展」入選

2010Toyota Art Competition とよた美術展2010」準大賞

2010「第5回大黒屋現代アート公募展」入選

2009AMUSE ART JAM 2009」入選

【Crossroad誌:掲載記事】 『偽りと真実の混在』(伊東明日香)(2012年1月号)

Crossroad誌:掲載記事】 『偽りと真実の混在』(伊東明日香)(20121月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年1月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、現在夏季ユニバーシアードが開 催されている広東省・深圳市にあります。

今回は「伊東明日香」さんの「偽りと真実の混在」という作品です。

作品タイトル: 

『偽りと真実の混在』 2009, 100 x 100mm, rhinestone, lame, oil and acrylic on canvas  (C) ASUKA ITO 2011

111219_写真_偽りと真実の混在.jpg

コメント:

この作品は、「伊東明日香×イトウアスカ-欲望という名のワタシ」という個展で出品されたものだ。世代が古いせいかこの個展タイトルからは、テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」を連想してしまう。「欲望という名の電車に乗って、墓場と書いたのに乗りかえて、六つ目の角でおりるように教わってきたんですけど…」。そして、ブランチ・デュボアが「極楽」という名の街にやってくることで物語はスタートする。1950年代の米国の新・旧、理想と現実、そして表と裏を背景とした作品だ。

今回の個展のタイトルでは、「伊東明日香」と「イトウアスカ」が、また作品タイトルでは「偽り」と「真実」が対比されている。今回の作品では紹介できなかったが、作家の作品では、掲載作品のような「花」を題材にしたものと、ちょっとエロティックな「コスプレ」を題材にしたものが対になって展示されることも多い。つまり、作家は、女性の隠された願望や欲求を2つの題材で表現しようとしているかのようで、それが前記のような「アンビバレント」なものとなって現れてくるのだろうか?それが最もはっきりした形となって現れているのが、今回の個展会場の入り口付近に展示された作家の自画像や写真と出展作品との対比だ。自画像や写真から感じられるのは、自己をしっかりとコントロールした女性というイメージなのだが、作品では(隠された?)願望や欲求があからさまに表現されている。

作家は、「性欲を開放し、愛と快楽を堪能する」ことで、「性」と「生」を表現しようとする、しかし、「堂々と他人にみせることができないので…作品の中で開放していく」という。それでは、この個展のテーマになっている「ワタシ」はどちらの「わたし」なのだろうか?作家のふだんの姿、本来の姿はどちらの「わたし」なのだろうか?しかし、「欲望という名の電車」において、「極楽」と「墓場」が混在するように、作家自身、また我々自身のなかには一見すると相矛盾するような「アンビバレント」な側面が「混在」するのだろう。

これから、「ワタシ」は何という「駅」に降り立ち、どのような物語がスタートするのだろうか?

略歴:

1978 神奈川県生まれ 

2003 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業 

2005 東京芸術大学大学院美術研究科修士課程油画技法材料修了             

個展:    2011年 「伊東明日香×イトウアスカ-欲望という名のワタシ」(Galerie Sho Contemporary Art:東京)

グループ展:

2010   Galerie Sho Projects だいたい2畳の週替わり展」(Galerie Sho Contemporary Art

              2009年 グループ展(Turandot 游仙境 Restaurant Gallery/Turandot 游仙境 赤坂店)

                            「真夏の夢 椿山荘DANDANS Exhibition No.5」(椿山荘)

              2008年 「Obsessional object」(エリスマン邸) 

                           Galerie Sho Projects 7人の新人展」(Galerie Sho Contemporary Art

                           The House 現代アートの住み心地」(旧日本ホームズ住宅展示場)

Galerie Sho Projects Something Sweet 4 Girls」(Galerie Sho Contemporary Art

              2007 White Collection」(大倉山記念館)

                           「ヨコハマブギウギ」(ギャラリーヨコハマ)

                            「第四回REUNAITED展」(横浜市民ギャラリーあざみ野)

連絡先:              Galerie Sho Contemporary ArtTokyo TEL03 - 3275 - 1008

【Crossroad誌:掲載記事】 『TAMATE-BOX』(美島菊名)(2011年12月号)

Crossroad誌:掲載記事】 『TAMATE-BOX』(美島菊名)(201112月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』12月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、現在夏季ユニバーシアードが開 催されている広東省・深圳市にあります。

今回は「美島菊名」さんの「TAMATE-BOX」という作品です。

作品タイトル  

TAMATE-BOX

111119_TAMATE-BOX.jpg

コメント

TAMATE-BOX

私は海の見える工場で造られた。それから、知らない人に私は買われた。

初めて蓋が開いた時、心の底からほっとした。(美島菊名)

玉手箱:TAMATE-BOXは、軽々しく開いてはいけない大切な箱のことのことだ。浦島太郎の話では、浦島が、龍宮城からの帰りに乙姫から「何があっても絶対に開けてはいけない」と言われて受けとったのだが、禁を破って箱をあけてしまい、浦島は箱から出てきた煙を浴びて年寄りになってしまった。

このTAMATE-BOXという作品では、もうすでに箱の蓋が開けられている。「海の見える」工場で造られたという人形やクマのぬいぐるみや学校の持ち物などが入っている。蓋を開けた時に、この箱を買った人には浦島太郎のように何かあったのだろうか?蓋が開いた時、この人形は何で心の底からほっとしたのだろうか? 蓋を開ける前には、何か大切なものが収められていたのだろうか?あったとすればそれは何だったのだろうか?

浦島太郎の話では、玉手箱の中に自分の年が封じ込められていたのだが、このTAMATE-BOXには何が封じ込められていたのだろうか?

収められている人形の少女が、もし、蓋が開けられたことによって、大切なものが失われた後の姿だとしたら、本来の少女とは、どのような少女なのだろうか?

多分、それは「制服」「クマのぬいぐるみ」といったこのTAMATE-BOXに押し込まれたお仕着せの世間一般の少女のイメージとは異なるものに違いない。

今回の個展では「“FREEDOM” 少女よ、自由を恐れるな」というタイトルが付けられている。この次の展開として、「玉手箱」ではなく、せっかく、「TAMATE-BOX」という作品タイトルにしたのであるから、浦島太郎とは違う展開として、箱の中に封じ込められていた本当に大切なものがなくなった後の姿ではなく、それを新たにTAMATE-BOXの少女につぎ込み、封じ込め、買った人ではなく、少女本来の意思に従って、動きだし、行動する少女の姿を、見てみたいものだ。多分、それが、作者自身の姿でもあるかもしれない。

略歴

1982年 神奈川県生まれ

2005年 明治学院大学文学部卒業

個展:

2008年 「BLUE FILM」 新宿眼科画廊

2009年 「ANA MEETS ARTS」 全日本空輸羽田空港ラウンジ

2009年 アート★アイガ “TOP OF THE WORLD"

2010年 アート★アイガ “THE BEAUTIFUL WORLD

2011年 アート★アイガ “FREEDOM

グループ展:

2007年 「NEXT DOOR vol. 1 TG ARTS

2010年 アート★アイガ アイガ★ショー2010

2011年 アート★アイガ アイガ★ショー2011

2011年 女子脳コミュニケーション(ROPPONGI HILLS A/D GALLERY

受賞:

2006年 GEISAI#10 BUILDINGスカウト賞受賞

2007年 spiral SICF8th 準グランプリ受賞

2009年 GEISAI#12 銀賞受賞

【Crossroad誌:掲載記事】 『なぜわからないの』(門倉直子)(2011年11月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』11月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、現在夏季ユニバーシアードが開 催されている広東省・深圳市にあります。

今回は「門倉直子」さんの「なぜわからないの」という作品です。

 

111022_なぜわからないの.jpg

コメント:

「なぜわからないの」と、このような少女に問われたら、あなたはどのように返しますか?このように大きな目で、しかもこのように強いしかも揺らぎもしないまなざしを突きつけられたら?大人の男性であっても、この目を直視していることには耐えられないのではないでしょうか?なにかこちらの心の中まですべてお見通しといった感じで、戸惑い、恐れ、思わず目をそらしてしまいそうだ。

この少女は何をわかってほしいのだろうか?髪を染めて、Lady Ga Gaのように結ってきたことをわかってほしいのか?ほかの子とちょっと違うというところをわかってほしいのか?あるいは、ちょっと“とんがった”ことをすることで、彼女自身に目を向けてほしいという“サイン”を出していることをわかってほしいのか?

作家の門倉さんが描くのは「少女の顔」であり、そして、「少女」という独特の「存在」を描いている。彼女たちは、新しいファッションを身に着け、メイクをし、「カワイイ」「カッコイイ」存在であるために一生懸命だ。そのような少女たちの一瞬一瞬を切り取った時に、我々が直視できないような表情や存在感が生まれるのかもしれない。

作家が描く少女たちは、一様に、目が大きく、鼻が小さいと言ったように、アニメチックで現実には存在しえないような顔なのだが、そうでありながら、あるいは逆にそうであるからこそ、非常にリアルなイメージが伝わってくる。作家自身は、どちらかと言えば、彼女の画に登場する少女たちとは異なる謙虚さを秘めた優しいイメージの女性だが、彼女自身が描く少女たちに憧れのような感情も抱くという。そのように、作家が強いイメージを持っているからこそ、その少女から非常にリアルなイメージが伝わってくるのかもしれない。しかし、一旦、作家の手から離れた少女たちは、作家の思いから離れ、その独立した存在は、「なぜわからないの」と、自分自身の存在を主張し始めるのではないか。そのためか、作家の描く少女たちに囲まれると、言いようのない何か不思議な雰囲気に包まれて、じっとはしていられないのだ。

略歴:

1997   千葉県に生まれる

2001   文化学院芸術専門学校卒業

個展

1999年 初個展「N局」 (巷房)

2000年 個展 (アートスペース羅針盤  以降、計5回開催)

2001年 個展 (ざくろ坂ギャラリー 一穂堂)

2001年 「昨日の怒り 今日のユウウツ」 (ギャラリー蔵)

2004年 「―face=sarface?今日の絵画に見る顔―」 (ギャラリーSAZA

2007年 「空想する少女たちへ」 (アートスペース羅針盤)

2008年 個展 (ギャラリー椿)

2008年 「cat walk」 (アート★アイガ)

2009年 「Revue girl」 (アート★アイガ)

2010年 「-あちらとこちらの世界から-」 (ギャラリー椿)

2011年 「なぜわからないの」 (アート★アイガ)

受賞

2000年 文化フォーラム104柏市美術展 大賞(審査員;峰村 敏明氏)

2003年 文化フォーラム104柏市美術展 大賞(審査員;本江 邦夫氏)

2003年 エプソンカラーイメージングコンテスト 佳作

2004年 プリンツ21グランプリ 入選

【Crossroad誌:掲載記事】『○○ごっこ』(Make-Believe Play)(熊澤未来子)(2011年10月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』10月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、現在夏季ユニバーシアードが開 催されている広東省・深圳市にあります。

今回は「熊澤未来子」さんの「○○ごっこ」(Make-Believe Play)という作品です。

現在、熊澤さんの展示会が以下の場所で開催中ですので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

熊澤未来子展「27」(第一生命ギャラリー)http://mizuma-art.co.jp/new/1317129362.php

熊澤未来子展(gFAL/FALhttp://www.musabi.ac.jp/topics/exhibition/gfal/

熊澤 未来子(Mikiko Kumazawa

作品タイトル

『○○ごっこ』(Make-Believe Play

111014_熊澤_写真.jpg

コメント

高層ビルに多くの人がよじ登っている。ビルによじ登っているものは、それぞれ銃などの武器を持って殺し合っているようだ。ビルの下の方では、男の死体も見られる。遠くの方では、高層ビルの上に、少し小さなビルを積み重ねようとしている人たちがいる。逃げようと、高層ビルから他のビルに飛び移ろうとする男、またその男を捕まえようと追いかける男。登場人物はいずれも真剣そのもので、『○○ごっこ』というタイトルのイメージとは正反対だ。

全体としては非現実的な世界が描かれているようなのだが、部分部分は非常に細かい書き込みがされている。登場する人物も高層ビルもそれぞれモデルがあるのかもしれない。そのように考えると、左側の男がよじ登っているのはニューヨークのクライスラー・ビルのようにも見えてくる。それぞれの登場人物が非常の細かく書き込まれ、それらにはどれも非現実的なストーリーが与えられているようなのだが、それらが集められることで、妙な事だが、より現実に近い、あるいはより現実ではないかと思わせるような世界が出来上がっている。

満員電車で、前に立っていた男に足を踏まれ、詫びの一言も言わない男に、突然、殴りかかりたいような衝動に駆られたことがある。普通の人は、もちろん、それは想像だけの世界で終わるが、都市生活にはそのような人々のどうしようもない衝動や、あるいは欲望があふれている。作者は、現代社会に生きる人々の衝動や欲望を、あえて非現実的にデフォルメした形で描くことで、現実に迫ろうとしているかのようだ。

略歴

1983   愛知県生まれ

2008   武蔵野美術大学大学院美術専攻日本画コース終了

主な個展:

2008   Paranoid World」 (Gallery Art Composition、東京)

2009   「第1回世田谷区芸術アワード“飛翔”受賞発表 熊澤未来子作品展」 (世田谷美術館区民ギャラリー、東京)

2010   「熊澤未来子展」 (ミヅマ・アクション、東京)

2011  27」 (第一生命ギャラリー、東京) 103日(月)-1110日(木)開催予定)

             「熊澤未来子展」 (gFAL、東京) (108()-1112()開催予定)

受賞歴:

2008   「カウパレード東京m丸の内2006」入選

2008   「武蔵野美術大学大学院修了制作」優秀賞

              「第7回菅楯彦大賞展」(倉吉博物館)佳作

      「世田谷区芸術アワード“飛翔”2008

2011   「第14回岡本太郎記念現代芸術大賞」入選

      「VOCA2011」佳作

【Crossroad誌:掲載記事】『金曜日の装い』(大久保如彌)(2011年9月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』9月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎 月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、現在夏季ユニバーシアードが開 催されている広東省・深圳市にあります。

作品タイトル 

『金曜日の装い』

110820_金曜日の装い.jpg

コメント

「金曜日の装い」という作品だ。女の子の背を向けた姿が鏡に映っているようだが、もう「装い」は終わったのだろうか?金曜日ということは、これからディナーにでも出かけるのだろうか?

鏡に映っている女の子の姿のようだが、その青色だけの背景をみると何か非現実の姿・世界を描いたかようでもある。これは、鏡に映った女の子の方が「虚」ではなく、むしろ「実」の姿であるかのような印象も受ける。あるいは、花柄の枠の内側から女の子が姿をのぞかせたかのようでもあり、手を差し伸べれば女の子に届いてしまいそうな気もする。

鮮やかな色彩で彩られた世界のなかに、またそれが鮮やかであればあるほど、奇妙な異次元空間が存在を意識させられ、うっかりするとその空間の中に引きずり込まれてしまいそうな気がする。

作家は、「他者との繊細な関係性」をテーマとしているそうだ。また、今回の「装う」ということは、化粧とも通じるものだが、他者と対峙すると同時に、自分自身とも対峙することだろう。それが、自分自身を隠すことであるのか、あるいは(ある部分を)より強調しようということであるのか?他者と協調しようというのか?あるいは他者と対峙しようというのか?はたまた、それによってどうなるかではなく、その過程そのものが重要であるのか?

作品に登場する女の子は、全て作家自身を描いたものだそうで、作家自身がポーズをとり写真に収め、それを画面に再生していくのだそうだ。この個展のオープニングで、作者はこの作品と同じ服装で登場したそうだ。そのような製作過程を通じて作家が自身のテーマと対峙していることが、作品を通して様々なストーリー(イメージ)が感じられる所以だろう。

略歴

1985      東京都生まれ

2009      武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業

2011      武蔵野美術大学大学院美術専攻油絵コース修了  

[個展]

2008      トウキョーワンダーウォール都庁(東京)

             GALLERY MoMo Roppongi(東京)

2010      GALLERY MoMo Ryogoku (東京)

2011       GALLERY MoMo Roppongi(東京)  (1022日(土)~1119日(土)まで開催予定) 

[グループ展]

2005      「シェル美術賞」代官山ヒルサイドテラス(東京)

2007      「ワンダーシード」トウキョーワンダーサイト渋谷(東京)

             「ときめき☆ランデヴー」鑓水青年美術館(東京)

             「トーキョーワンダーウォール2007」東京都現代美術館(東京)

 「収集癖」三番ギャラリー(東京)

2008      Opning ExhibitionGALLERY MoMo Ryogoku(東京)

2009      101TOKYO Contemporary Art Fair」秋葉原UDXビル(東京)

2011      「再生 Part.2GALLERY MoMo Ryogoku(東京)

      「分岐展 」GALLERY MoMo Roppongi(東京)

【Crossroad誌:掲載記事】『BATHL』及び『BATHR』(坂本夏子)(2作品)(2011年8月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』8月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、現在夏季ユニバーシアードが開催されている広東省・深圳市にあります。

作品タイトル 


BATH,L()      2009  oil on canvas  第一生命ギャラリー蔵 

BATH,.R()       2009-2010  oil on canvas  高橋コレクション蔵110825_HP用写真.jpg

坂本 夏子 (Natsuko Sakamoto

コメント

何か「MATRIX」の世界にでも迷い込んでしまったかのようだ。左右の作品は鏡のようになっており、また、それぞれの作品の中でも様々な鏡面が存在するかのようだ。しかも、空間全体がゆがんでおり、見ているとそのゆがんだ空間に飲み込まれ、中に落ち込んでしまうそうだ。

左右のどちらが現実なのだろうか?あるいはこの2枚に映る現実がほかに存在するのだろうか?いや、作品に描かれている世界の方が現実なのだろうか?何が実像で、何が虚像なのかわからない世界を前にして、思わず自分自身の存在そのものに対する不安を覚えてしまう。

作家は2作品を鏡合わせにおいて、同時に書き進めたそうだ。「バスルーム」は、水(面)が大きな鏡となり、そこにあるタイルは、ゆがんだ空間設定を行うには最適の設定だ。2作品を鏡合わせのように描いたとは言っても、よく見ると左右で若干違うところもあり、また、立ち位置(視線)がずれているような箇所もある。何か視線がゆがんだ空間に迷い込んで、徘徊するうちに、時間すらもこの空間の中でずれてしまったかのようだ。

それは、まず最初に、一方の画面に虚像を描き、それをもう一方の画面に実像として反映させ、それを繰り返し、描くことで、虚と実は区別することが出来なくなり、また虚と実を区別することは意味がなくなり、それぞれがその存在を主張しだした結果だろう。

長い時間見ていると、絵の中に引き込まれて、出てこれなくなりそうなのだが、「真」の自分の姿を見つけ出し、出口へと導いてくれる「白ウサギ」は現れるのだろうか?

作家略歴:

1983      熊本市に生まれる

2007      愛知県立芸術大学美術学部油画専攻卒業

2009      愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画・版画領域修了 

現在、     愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程在学中



個展

2008      overflow 白土舎/名古屋

2010      "BATH,R" 白土舎/名古屋(3.13-4.17

主なグループ展

2007      豊田市美術館常設展示, portrait 豊田市美術館/豊田市



2010      絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から 国立国際美術館/大阪

2010      VOCA2010 上野の森美術館/東京(3.14-3.30)

2010      豊田市美術館常設展示 豊田市美術館/豊田市



受賞

2009      第一回絹谷幸二奨励賞

2009      VOCA2010 奨励賞



【Crossroad誌:掲載記事】『Dear』(Oracion~ひかり粒~斎藤ナオ展から)(2010年7月号)

斎藤 ナオ (Nao Saito

作品タイトル: Dear』(Oración -ひかり粒- 齋藤 ナオ展から)

110621_齋藤ナオ_Dear.jpg

コメント:

うさぎに抱きかかえられているのは何だろうか?誰だろうか?・・・これは「着ぐるみ」を着た「女の子」なのだそうだ。この作品(「Dear」)に登場するのはキリンの着ぐるみを着た女の子だ。

きっと、この女の子は、着ぐるみを着ることで普段持っていないような、何か不思議な力を得る、あるいは忘れかけてしまっているものを取り戻すのではないだろうか?動物のことばがわかったり、風や草や虫たちのこえが聞こえたり、と、様々ないのちとつながることで、自身の存在を確認しているのではないか?1人1人は70億分の1だが、その1人が欠けると70億も存在しないのだ。そして、生への希望を新たにすることができる。

画面全体にはとても静かで詩的な空気が流れており、作品に登場する女の子と動物の表情や動作はいたって控えめだが、その存在そのものが何かを強く訴えかけてくるようで、自然と物語が紡ぎだされてくるようだ。

今回の作品は、『Oración-ひかり粒』という作品展に出展されたものです。「Oración」とは、スペイン語で“祈り”という意味だそうで、福島県の郡山に在住している作者の311日の東北大震災を受けての気持ちが作品に込められているようです。このような未曾有の災害を目の当たりにして、いま私たちは、様々な命とつながることで、生への希望を新たし、再生・復興に向けて強い気持ちを持ちたいものです。また、「天災」から「人災」へと被害が広がらないように、私たち大人たちも作者のように着ぐるみを着て、多くのいのちとつながることで、自分自身を見つめる直し、いのちというものを大切にしていかなければならないのかもしれません。

略歴::

1982       福島県郡山市生まれ

東北芸術工科大学

芸術学部美術科洋画コース 卒業

2004       卒業制作選抜賞(東京銀座東和ギャラリー)

2006       FUKUIサムホール美術展 奨励賞

              51回 郡山市総合美術展 市長賞

              公募 ふるさとの風景展 準大賞(喜多方市美術館)

2007       61回 二紀展 初入選(東京国立新美術館)

              以降 毎年入選

              52回 郡山市総合美術展 美術賞

              公募 ふるさとの風景展 大賞(喜多方市美術館)

2008       62回 福島県総合美術展 福島県美術奨励賞

2009       福島県美術協会展 大勝堂賞

2010       55回 郡山市総合美術展 市長賞

個展

2007       6月 「saito naomi exhibition 黄色の風」Romjen(郡山)

2009       3月 「-夢を紡ぐ少女-齋藤ナオ展」(池袋東武)

              4月 アートフェア東京2009 2人展 (東京国際フォーラム)

2010       4月 アートフェア東京2010「-夢を紡ぐ少女-齋藤ナオ」(東京国際フォーラム)

              10月 「-夢を紡ぐ少女-齋藤ナオ展」(広島福屋)

パブリックコレクション

              喜多方市美術館


 

【Crossroad誌:掲載記事】『女の子は何でできている?(篠原愛)』(2011年6月号)

篠原 愛 (Ai Shinohara

作品タイトル:『女のコは何でできている?』(油彩、キャンバス)

110520_写真_女のコは何で出来ている?.jpgのサムネール画像

 

コメント:

きれいな絵だなと思い、近くに寄ってみて驚いた! 少女の裂けたお腹からは学生かばんの中身をぶちまけたように様々なものが飛び出している。ゼリービーンズ、チョコレート、ケーキ、ドーナッツ、デコを施した携帯電話、指輪、リップスティック、マニキュア、ぬいぐるみ・・・また、少女の内臓を食いちぎるワニや金魚、そしてそれを追いかけるように猫も飛び出してきている・・・

更に近寄ってみると、ゼリービーンズに交じって小さな花びらなども見つかる。

画面にはたくさんのものが描かれているが、実に細部にまできちっと描かれている。全体としては非現実の世界を描いているにも拘わらず、何故かその非現実の世界を不思議と自然に受け入れてしまうのは、何故だろうか?

篠原さんの作品には、「少女」「内臓」「動物」「花」などが登場する。作品を見ていて、何故か松井冬子さんを思い出してしまった。しかし、松井さんのように強いメッセージ性はそれほど感じられない。どちらも女性(少女)が登場するが、松井さんのように「ジェンダー」を意識させるものではないし、篠原さんによれば、少女はアニメを描いていた時からのものだという。

唯一メッセージ性のあるものとしてあげるとすれば、「生」への意識、であろう。他作品に登場する自傷の痕跡から自虐的な印象をもたれることもあるようだが、死に向かい合うことで生をよりポジティブにとらえ、受け入れていこうとしているように思われる。本作品でも、少女から飛び出した内臓からは花々が美しく成長し、蝶が舞うことで、生そしてその連続に対する望みや希望のようなものを感じさせる。このように対峙していくことで、様々なものが顕在化し、作品も変わってくるのかもしれない。

略歴:

1984   鹿児島県生まれ

2007   多摩美術大学絵画学科油絵専攻 卒業

個展:

2007       ギャラリーQ(東京)(5月及び12月)

2008     ギャラリーQ(東京)

 

Mehr Gallery (ニューヨーク)

 

2009       Gallery Momo Ryogoku(東京)

2011       Gallery Momo Roppongi(東京)

グループ展:

 

2007       The Party(Gallery Q)(東京)

 

2008       「三人展」(Mehr Gallery(ニューヨーク)

2009       「第28回損保ジャパン美術財団選抜奨励展」損保ジャパン東郷青児美術館(東京)

              Summer Group Show Hop Step Jump(Gallery Momo Roppongi)(東京)

 

2010       「再生 Part.I(Gallery Momo Ryogoku)(東京)

【Crossroad誌:掲載記事】『残像(佛淵静子)』(2011年5月号)

佛淵 静子 (Shizuko Hotokebuchi

作品タイトル:『残像』(麻紙・墨・胡粉・岩絵具)

110419_写真_残像.jpg

 

コメント:

「ナース」が太極拳(?)をしているのだろうか?何故、ナースなのだろうか?何故、太極拳(?)なのだろうか?また、この2つの組み合わせの妙が、気になって仕方ない・・・しかし、この作品には、そのような私の俗っぽい関心など寄せ付けない、とても清澄な空間が充填されていて、そこからは心地よいリズムが感じられる。

作家は、「人が何かをしているときのしぐさ、意識を一点に集中させている瞬間の表情、そのフォルムの美しさを切り取り、絵にしたい」という。「静から動へ」また「動から静へ」という連続した流れの中で、意識が集中して、忘我の瞬間が訪れる。ポーズそのものは、何かおかしみのあるもののように思われるが、そのような瞬間は、どの様なポーズであれ、どこか緊張感のある静溢な雰囲気に包まれる。

対象以外の余計なものを一切廃し、また、その対象は、淡々とした線で描かれる。これそのものは、何ら劇的なものではないが、その線は、「空間に切れ目を入れる」ことで作家独自の空間が生まれる。また、意識しているという小林古径の作品のように、余計なものをどんどんそぎ落としていき、そこから本源的なものを切り出そうとしているのかもしれない。それが、作家が言う「リアルとも違う実感」なのかもしれない。

略歴:

1974   東京都生まれ

1998   多摩美術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業

2000   多摩美術大学大学院修士課程美術研究科日本画修了

入選:

2007        第18回臥龍桜日本画大賞展入選

2009        第44回昭和会展招待 <日動画廊>

個展:

2001   <ガレリアラセン>(東京)(同20022004開催)

2008   <柴田悦子画廊>(東京・銀座)(同200920102011開催)

グループ展(直近):

2007       『清田悠紀子・佛淵静子-動と静の境界-』<みゆき画廊>

2009       Life展』<GALERIE SOL>(同20102011

              『男が描く男・女が描く女』 <柴田悦子画廊>(同2010開催)

2010       『男の墨・女の墨』 <柴田悦子画廊>(同2011開催)

              『柴田俊明・佛淵静子-white vision-』 <GALERIE SOL

【Crossroad誌:掲載記事】『待ちぼうけ(ハートの池)(森洋史)』(2011年4月号)

森 洋史(Hiroshi Mori

作品タイトル:『待ちぼうけ(ハートの池)』

待ちぼうけ(ハートの池).jpg

白い靴の少女は一体誰を待っているのだろうか?お父さん?お母さん?友達?「待ちぼうけ」というタイトルからすると恋人なのだろうか?そういえば、「ハートの池」が何か妙に意味深なものにも思えてくる。ハートの池に映るぼんやりした影をみると、少女の姿かたちも気になるし、またどのような表情で待っているかも気になってくる。「靴」という当たり前な存在が、見る者の心の中のイメージと一体となって、様々なストーリーが、そこに生まれ、不思議な世界が拡がる。

日本の古典美や表現技法と現代的な表現の融合がテーマとのことで、大胆な構図と表現方法で、絵画という2Dの世界に、3D的な空間と時間の世界を表現することが試みられている。「待ちぼうけ」では、尾形光琳の作品がイメージされるが、そこにハートの池(そこに影や水紋)、蝶、蛙、蛇といった小動物という作者独自のモチーフが加わり、動きを感じさせる独自の空間が生み出されている。さらに、雨が加わることで、空間のみならず、時間の流れも感じるものとなっている。

テーマは日常的で身近なものだが、作品全体としては、凛とした緊張感が漂う幻想的な雰囲気が創出されており、また、伝統的な琳派の屏風絵に、絵本やアニメのかわいらしさを閉じ込めたような不思議な作品となっている。  

略歴:

 1977 東京都生まれ
2000
 東海大学教養学部芸術学科美術学課程卒業
現在 東京藝術大学大学院修士課程在籍 受賞歴:

2008
  第44回 主体展 佳作作家賞
2010  
シェル美術賞2010 本江邦夫審査員奨励賞

個展:

2010  kinosho kikaku + Gallery156(東京)
2011   Shonandai MY Gallery
(東京)

グループ展・公募展:
2009  シェル美術賞展2009 代官山ヒルサイドフォーラム(東京)
2010
  ワンダーシード2010 トーキョーワンダーサイト渋谷(東京)
   
  第28回上野の森美術館大賞展 上野の森美術館(東京)
  
  「PrologueVI」ギャラリー・アート・ポイント(東京)
   
  シェル美術賞展2010 代官山ヒルサイドフォーラム(東京)
   
   GEISAITAIWAN#2  台湾台北市華山創意文化園區(台北)
2011  
Resonance Effect - 共鳴効果-kinosho kikaku + Gallery156(東京)
       
朝日新聞厚生文化事業団主催「Next Art展」 朝日新聞東京本社(東京)
松屋銀座(東京)

【Crossroad誌:掲載記事】『room of womb(白石綾子)』(2011年2・3月号)

白石 綾子(Ayako Shiraishi

 作品タイトル:『room of womb』(アクリル、油彩、パネル)

Shiraishi-Ayako_room of womb.jpg

暗闇に恐る恐るライトをあてると、そこには背中を向けて寝そべる女性が・・・。ふっと昔読んだ川端康成の『眠れる美女』という小説を思いだした。「そこにいる女性」は手を伸ばせばすぐ届く距離にいるのだが、どこか近づきがたい距離がそこには厳然と存在していて、そこには永遠に近づくことが出来ない。

白石綾子さんは、「女性の視線」で女性を描いているそうで、描かれる「外形的」姿態と、その描かれた女性や床に浮かび上がってくるように表現される「内面的」(花柄)模様は、女性の「外面と内面」とを表現しようとするかのようだ。その「外面と内面」とは何なのか?それらは、どの様に形成されたのか、あるいは生まれつきそこにあるものなのか?

また、そこには「生」と「性」というものが混在し、意識的にしろ、無意識的にしろ、常に我々をとらえて離さない。その「生と性」は、浮かび上がるように描かれた「花(柄)」にも象徴されるし、「円形のキャンバスを使用」することは作品タイトルにも使用されている「子宮」(womb)の象徴でもある。

作家が、意識しているのか、あるいは意識していないかはわからないが、日常的に、また生来的に感じている様々な疑問に対して、女性という視線から挑戦しているようにも思える。

そのような作家の強い内面的な思いが、非常に柔らかく、抑制された形で表現されている作品だ。

略歴

1982   群馬県生まれ

2006   武蔵野美術大学美術造形学部 油絵学科油絵専攻 卒業

2008   武蔵野美術大学大学院 造形研究科 修了

個展

2007   ギャラリー b.TOKYO(東京)

2011   ギャラリーQ(東京)

受賞

2007   武蔵野美術大学優秀作品展—優秀賞 三雲賞

       前橋アートコンペライブ 銅賞

2009  武蔵野美術大学優秀作品展—優秀賞

【Crossroad誌:掲載記事】『水玉のスカート(大矢加奈子)』(2011年1月号)

大矢 加奈子 (Kanako Ohya

 作品タイトル:『水玉のスカート』

101220_写真_水玉のスカート.jpgのサムネール画像