2012年1月/日々雑感:よくわからないこと?!

2012年1月

【Crossroad誌:掲載記事】 『偽りと真実の混在』(伊東明日香)(2012年1月号)

Crossroad誌:掲載記事】 『偽りと真実の混在』(伊東明日香)(20121月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年1月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、現在夏季ユニバーシアードが開 催されている広東省・深圳市にあります。

今回は「伊東明日香」さんの「偽りと真実の混在」という作品です。

作品タイトル: 

『偽りと真実の混在』 2009, 100 x 100mm, rhinestone, lame, oil and acrylic on canvas  (C) ASUKA ITO 2011

111219_写真_偽りと真実の混在.jpg

コメント:

この作品は、「伊東明日香×イトウアスカ-欲望という名のワタシ」という個展で出品されたものだ。世代が古いせいかこの個展タイトルからは、テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」を連想してしまう。「欲望という名の電車に乗って、墓場と書いたのに乗りかえて、六つ目の角でおりるように教わってきたんですけど…」。そして、ブランチ・デュボアが「極楽」という名の街にやってくることで物語はスタートする。1950年代の米国の新・旧、理想と現実、そして表と裏を背景とした作品だ。

今回の個展のタイトルでは、「伊東明日香」と「イトウアスカ」が、また作品タイトルでは「偽り」と「真実」が対比されている。今回の作品では紹介できなかったが、作家の作品では、掲載作品のような「花」を題材にしたものと、ちょっとエロティックな「コスプレ」を題材にしたものが対になって展示されることも多い。つまり、作家は、女性の隠された願望や欲求を2つの題材で表現しようとしているかのようで、それが前記のような「アンビバレント」なものとなって現れてくるのだろうか?それが最もはっきりした形となって現れているのが、今回の個展会場の入り口付近に展示された作家の自画像や写真と出展作品との対比だ。自画像や写真から感じられるのは、自己をしっかりとコントロールした女性というイメージなのだが、作品では(隠された?)願望や欲求があからさまに表現されている。

作家は、「性欲を開放し、愛と快楽を堪能する」ことで、「性」と「生」を表現しようとする、しかし、「堂々と他人にみせることができないので…作品の中で開放していく」という。それでは、この個展のテーマになっている「ワタシ」はどちらの「わたし」なのだろうか?作家のふだんの姿、本来の姿はどちらの「わたし」なのだろうか?しかし、「欲望という名の電車」において、「極楽」と「墓場」が混在するように、作家自身、また我々自身のなかには一見すると相矛盾するような「アンビバレント」な側面が「混在」するのだろう。

これから、「ワタシ」は何という「駅」に降り立ち、どのような物語がスタートするのだろうか?

略歴:

1978 神奈川県生まれ 

2003 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業 

2005 東京芸術大学大学院美術研究科修士課程油画技法材料修了             

個展:    2011年 「伊東明日香×イトウアスカ-欲望という名のワタシ」(Galerie Sho Contemporary Art:東京)

グループ展:

2010   Galerie Sho Projects だいたい2畳の週替わり展」(Galerie Sho Contemporary Art

              2009年 グループ展(Turandot 游仙境 Restaurant Gallery/Turandot 游仙境 赤坂店)

                            「真夏の夢 椿山荘DANDANS Exhibition No.5」(椿山荘)

              2008年 「Obsessional object」(エリスマン邸) 

                           Galerie Sho Projects 7人の新人展」(Galerie Sho Contemporary Art

                           The House 現代アートの住み心地」(旧日本ホームズ住宅展示場)

Galerie Sho Projects Something Sweet 4 Girls」(Galerie Sho Contemporary Art

              2007 White Collection」(大倉山記念館)

                           「ヨコハマブギウギ」(ギャラリーヨコハマ)

                            「第四回REUNAITED展」(横浜市民ギャラリーあざみ野)

連絡先:              Galerie Sho Contemporary ArtTokyo TEL03 - 3275 - 1008

20年以上もかかる新幹線整備事業にどのような意味があるのか?地元は本当に経済効果を期待しているのか?

昨年1226日に、北海道新幹線など未着工の3区間について、今年度中に同時着工する方針が確認された、という。

http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9693819481E0E4E2E0838DE0E4E3E0E0E2E3E39F9FEAE2E2E3?n_cid=DSANY001

北海道新幹線では、「札幌延伸は投資効果が非常に高い事業」とされ、北海道経済連合会の試算によると、札幌延伸に伴う経済効果の純増額で年間1400億円、30年間の税収額累計が1兆5600億円が期待される、とのこと。

しかし、来年度の予算案では、税収が半分にも満たないという厳しい状況の中で、総事業費が3兆円にも上る整備新幹線事業が必要なのだろうか?

私が驚いたのは、北海道新幹線では、開業予定が35年度だということだ。今からすると20年以上も先の話だ。

本当に、建設会社ばかりでなく、地元に経済効果が期待されるのであれば、20年もかけることなく、もっと早く開業できるように、集中的に建設を進めるべきだ。

中国のように、安全性まで無視して、建設しろとまでは言わないが、中国のようなスピード感を持ってやらないと、経済効果も何もないのではないか?

東京札幌間が、現在8時間36分かかるものが、3時間半も短くなると言っているが、20年もたったころには、他の交通機関の状況や、地元の産業・経済あるいは人口などの状況も大きく変わってしまっている可能性が高い。

20年もかけて行う新幹線整備事業に、建設関係者を除く地元の人たちが本当に経済効果を期待しているとは思えない。

これではかつての自民党政権とやっていることは同じだし、民主党がマニフェストで訴えていたこととは正反対なのではないか?

福島県東部のコメ出荷停止と日本の農業問題

本稿では、その原発事故や放射性物質の問題ではなく、この関連記事から見える日本の農業の問題を改めてみてみたい。

この件で、出荷停止になった区域のコメ販売農家は406戸で、作付け面積は約165ヘクタール。コメの生産量は約825トンだ。

1戸当たりの作付け面積は、40アール、1戸当たりの生産量は、2トン(約33俵)となる。

この数値は日本のコメ農家の平均的な数値より極端に小さい・少ないというものではない。(全農地で見ると平均作付け面積は0.7ヘクタールとなる。)

コメ2トンの生産は、約33俵なので、大体20家庭分くらいの食料を生産したことになる。

金額にすると生産者米価の価格にもよるが、11万円とすれば33万円だし、15000円とすれば約50万円だ。

農家を事業単位で考えた場合は、売り上げは50万円となるし、また、生産量とすれば20家庭分の製品しか作れないことになる。

製造業で考えた場合は、売り上げが50万円、20家庭分の製品しか製造できないとすると、事業として成り立つはずがない。

農業が儲からないという点についても、浅川芳裕氏は「日本の農業が復活する45の理由」の中で、生産性の観点から記載している。

農業統計でみると、コメ農家の労働時間は10アールで年間30時間ですが、実際には1015時間で済みます。1ヘクタールでは、わずか150時間です。会社員で言えば、1か月の労働時間でしかありませんから、「儲からない」というのは話が違います。むしろ「働いていない」と言ったほうが良いでしょう。統計でも1ヘクタール未満のコメ農家の収入は時給に換算すると300円です。しかし、10ヘクタール以上のコメ農家では時給3100円となる。

民主党になって、戸別所得補償制度が行われたり、昨年はTPPの問題を巡って推進派と慎重派(この言い方には違和感を感じますが・・・何故反対派と言わないのでしょうか?)との間で激しい批判合戦が行われました。しかし、それらと切り離して、先の数値で現在の日本の農業・農家というものを見た時に、違和感を感じざるをえません。もう何十年にもわたって、日本の農業・農家の競争力を高めようという議論が行われてきましたが、何も変わっていません。

現状を踏まえて、農業・農家の在り方を変えていくべき時なのではないでしょうか?TPPがどうのこうのという以前の問題です。

ポーズだけで終わらせるな特別会計改革法案:次期通常国会提出?

蓮舫行政刷新担当大臣は、NHKのインタビューで、政府の行財政改革の一環として、公共事業を実施するための「社会資本整備事業特別会計」などの特別会計を見直すための法案を、来年の通常国会に提出する考えを示しました、とのこと。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111231/t10014995291000.html

昨年6月には、本年の「通常国会提出は厳しい」としていたのだが、昨年1214日に民主党行政改革調査会が新たに設置されたことなどを受けてのことだと思われる。

民主党は行政改革ということを強く打ち出していたにもかかわらず、この2年間何も行わずに来た。昨年末に決まった消費増税の関係でも議員定数削減と公務員総人件費の削減は「努力目標」とされて、その実現はほとんど期待できなくなっている。

特別会計の見直しにしても、「仕分け」も行われたが、法的な手当てがなされていないので、そこで決定されたことは何等効力を持たず次々と形を変えたりして復活してしまっている。

本件に関しては、野党からも支持する声は強く、民主党がその気になれば簡単にできることだろう。

しかし、2年以上たって、いまさらながらに法案提出というのは、いったいどうしたことなのだろうか?事業仕分けにしても、その結果についての法的拘束力を持たせようと思えば、法案を提出して国会で決議を行えばよいだけだった。しかし、何も行ってきていない。仕分けを行えば、それだけで結果が期待できるような間違った印象を国民に植え付け続けている。

蓮舫大臣が言及した特別会計を見直すための法案の内容はまだわからないが、ポーズだけで終わらないようにしてもらいたいものだ。

「政治家」を職業にするな

昨年1225日に、「NHLスペシャル 永田町・権力の漂流」という番組が放送された。

内容の詳細については、別稿にて触れたいが、政治家の行動が「次の選挙で落ちたくない」という考えに大きく拘束されているという印象を強く持った。

会社での話に置き換えるならば、「会社を首にされたくない」ということだ。

「政治家」が職業となっており、誰でもそうだが、「食べていくためには、何としても今のポジションにとどまらなければならない」という状況となっている。

その為に、「国民の生活が第一」(民主党)などとしながら、実は、政治家の行動は、「選挙に落ちないようにするにはどうしたらよいか」ということが最優先課題となってしまっている。

「国民」など彼ら・彼女らの目線の先にはないのだ。

尚、「職業」となってしまっただけでなく、その職業・地位は世襲もされるようになっている。

以前の調査では、衆議院で見ると480議席中185議席と実に38.5%2世・3世議員となっている。本人は議員にはなりたくなかったが、仕方がなく議員になったものも多いのではないだろうか。

また、十分な勉強もせずに議員になるものも多いだろうし、議員としてふさわしくないものもいるかもしれない。

昨年後半は、オリンパスの事件が話題となったが、以前の経営陣が、その地位に執着するあまりに、問題を隠して先送りすることによって更に問題を大きくしてしまった。そこには、自らが担っている責任やその責任の重さなどについても認識が全くない。現在の政治家もまっったく同じだ。「政治家」という地位に執着するだけで、本来、国民から託された責任についての認識など全くないようだ。逆に、政治家となることで、何か特権階級にでもなったような気持ちでいるのではないだろうか?

そのような議員という地位が世襲されてしまうようなシステムを許してしまっていること自体も問題だ。政治家になるためには、「地盤(支持者)、看板(肩書)、鞄(お金)」が必要と言われるが、そこには「政策」や「目標」などと言ったものはない。世襲議員の多さに見られるように、いくら「国をよくしたい」という強う意識を持った人がいたとしても、政治家になるのは難しい。

「国」のことをしっかりと考えてくれるような人が政治家に選ばれるような形に変えていく必要があるだろう。そのためには、「政治家」という地位を職業としないような考え方がまず必要だ。

政治家としての集大成が増税か?:「国民の生活が第一」はどこへ行った?

昨年末に、民主党税制調査会に初めて野田首相が出席して、「政治家の集大成としてやっている」として消費増税への理解を求めた。

東日本大震災が起こってから程ないころは、国民の多くが復興増税あるいは消費増税にある程度の理解を示していた。

しかし、状況は大きく変わってしまっている。野田政権への支持率よりも不支持率が大きく上回るようになり、増税への反対論も大きくなっている。

それもそうだろう、財務省の言いなりになって、大震災を材料に、大増税路線にひた走っているからだ。

2009年に民主党が政権をとった時には、国会議員の定数削減と、国家公務員の総人件費削減をマニフェストにあげていた。

しかし、この2年間でこれらはほとんど議論されずに来た。これらの政策については野党でも賛成する向きも多く、民主党が本気で取り組めば実現する可能性は高かったはずだ。

それにもかかわらず、本格的な議論は行わず、その後突然、大増税路線に転換してしまった。

消費増税にしても、国民に対して説明をする前に、野田首相が国際会議で国際公約としてしまった。

民主党税制調査会では、慎重派に配慮してか、「努力目標」として、議員定数削減や公務員総人件費削減など「身を切る改革を断行しなければならない」と文言も原案に入れられたとのこと。

しかし、この「努力目標」という言葉は「役所言葉」で、「何も行わない」ということと同義だ。

「増税」ということが「政治家としての集大成」とは何とも情けない。目的と手段が完全に逆転してしまっている。本来の目的は、民主党のマニフェストに即して言えば、「国民の生活が第一」であるべきだ。それを実現するためにどのような手段があるかで、消費増税もその1つの手段ではある。しかし、手段はそればかりではない、松下政経塾を創設した松下幸之助は、歳入を増やすことはもちろんだが、歳出を減らすことの重要性を説いている。野田首相はそれを学んでこなかったのだろうか?

消費税をいくら上げても、問題の根本的解決には至らないことは明らかだ。にもかかわらず、何故、増税一辺倒にひた走るのだろうか?

大阪市長になった橋本氏は年末のインタビューで、今、首相になったらという質問に対して、「まず、政治家が身を切る政策を行うことが必要」と答えている。

国民が、野田政権を支持しないのも、この違いなのだろう。

【新年のご挨拶】

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新年のご挨拶

新春のお慶びを申し上げます。

平素のご厚誼を厚く御礼申し上げます。新年も幸多き年でありますよう心よりお祈り申し上げます。

平成24年元旦

『日本は龍体列島』:<世界に向かってそのエネルギーを解き放て>

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(みどりⅡから撮影した日本列島:JAXA

古来、日本列島は龍体で、世界のひな形、と言われます。また、宇宙も相似形をしていると言われ、天(天体)、地(日本・世界)、人(胎児)、とみな同じ(丸い)形をしています。

龍には天を駆け巡る力(エネルギー)が与えられ、天(大気)、地、水を守るといわれ、また、そのエネルギーそのものが龍のかたちとなっています。

古来、日本そして日本人はこの龍(エネルギー)の精神性を持っていると言われるのですが、現状はどうでしょうか?

天を駆け巡るどころか、狭い列島に閉じこもるばかりです。グローバル化と叫ばれてずいぶん経ちますが、その間に日本・日本人は逆に中に閉じこもりがちになっているのではないでしょうか?

それと共にエネルギーもどんどん失われ、無いに等しい状況となっているように思われます。

「呼吸」という言葉に象徴されますが、まずは息を吐かないと(「呼」)、息を「吸」うことは出来ません。

私たちは、この龍体の日本を、そして龍体としての経験と知恵を、外にもっと提供していかなければなりません。

それによって、世界の国々そしてその人々と、共振することが出来るようになるのではないでしょうか?

室伏 昭昌

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