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2019年1月

【2019年:年初のご挨拶】

平成最後の年を迎えました。この「平成の30年」を一言で表現するとすれば、「失われた30年」という言葉に集約されるのではないかと思います。

その「失われた」原因は、「平成」ではなく「昭和」の時代に形成された「バブル」が崩壊したことによるのですが、「失われた30年」となってしまったのは、そのバブル崩壊の処理方法を間違ってしまったからではないでしょうか?! いまではその「失われた30年」の原因が、日銀の金融政策(大胆な金融緩和を行わなかったこと)によるものだ、という意見が大勢を占めているのですが、個人的には、バブル崩壊後に速やかに不良債権の処理を行うことなく、むしろ不良債権など存在しないとして、それを隠蔽し、根本的な対策を採らなかったことにあるのではないか、と考えています。

平成の時代は、ベルリンの壁崩壊など世界的に大きな転換点を迎えるのと軌を一にして始まりました。しかし、日本は、バブル崩壊という歴史的な危機を前にして、「時間が解決してくれるだろう」ということで誰も責任をとることなく「問題を隠蔽して先送り」してしまいました。そして、問題は時間の経過では解決することなく、むしろ深刻化して、山一證券や拓殖銀行の倒産などを機に、その実態が表面化し、明らかにされ、公的資金の投入という事態となりました。

バブル崩壊以降に政権が採った政策は、成長が鈍化して、需要が低下する中で、公共投資を増額することで、政府が需要を作り出すことで、成長を促進しようとしてきました。その結果、バブルの最盛期に赤字国債発行からの脱却を実現したにもかかわらず、平成の30年を通して、赤字国債の増発を繰り返すことで、国の借金は積み上がり、1000兆円にもなろうというところまで来ています。

本来であれば、「国民の受益と負担のバランス」を図らなければならなかったのですが、就職先となってしまった政治家は(国の将来や国民のことなど何も考えていませんので)、議論を先送りするばかりで何の対策をとることはありませんでした。

そして、結果的に、その経済低迷の「犯人」とされたのが日本銀行でした。特に2000年代に入ってからは、日本経済の問題は「デフレ」だとして、その「デフレ」は貨幣的現象なので、大規模な金融緩和をすれば問題は解決する、という意見が大勢を占めるようになって行きました。そこで登場してきたのが、安倍政権であり、黒田日銀ということになり、「異次元の量的質的金融緩和」なるものが行われたのです。これは図らずも現在進行形ですから、よくご存知のことと思いますが、当初2年で2%の物価上昇率を達成するとした目標はいまだ実現しておらず、日銀の資産はその結果として500兆円とGDPに匹敵するような規模にまで膨張していて、その出口の議論さえできないような状態となっています。

私たち個人にとっても、平成の30年間には、少子高齢化の進展、世界のグローバル化の波及による(逆説的ですが)個人の国家、社会、会社・職場、家庭との分断と個別化が進行・進展したのではないでしょうか?その結果、私たち個々人は「閉塞感」や「孤立感」を感じ、形式だけであっても「繋がる・繋がっている」こと自体を求めるようになっていないでしょうか?

「平成の30年間」は、問題に対峙することなく、問題を先送りし、そして隠蔽し、誰も責任を取ることのなかった無責任な時代となってしまいました。私たち個々人も様々なモノから切り離されてバラバラな存在になってしまっているかもしれません。

今年、新しい元号が施行され新しい時代を迎えることになるのですが、「平成の30年間」を今一度確認して、その反省の基に、新しい時代を作っていきたいものです。新年早々から世界の金融市場は大揺れですが、市場は何か新たな変化を求めているのかもしれません。

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