以前書いたことですが・・・。 皆神塾、30日に、東京本郷です。/新井信介 「京の風」バックナンバー

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以前書いたことですが・・・。 皆神塾、30日に、東京本郷です。

どなたかが、転載してくれました。

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新井信介のホームページ
 「京の風」:「人類社会に、どんな運命が?」より

 ただ、本当に、今回の事態で、私たちは、考えないといけません。

 食料とエネルギーを、 

 家庭・隣組・町内会・市町村などの、各段階で、
 
 自給自足できる体制   ・・・自給圏ネットワーク を 作ることを、

 今後の日本再生の、 基本としないと、 

 人間個人の生活に、未来が創造されてきません。

 通貨を中心に考えると、
 今後も、 私たちの生活は、企業活動(雇用・株式・税収)と、
 官僚(特権意識)、国(法律)、投機資金 との間で、前後左右に、翻弄され続けます。

 この「翻弄」は、足場を失っていく、弱者の実生活と、心を壊します。
 今は、まだ、この分野での発言や活動に、手が回りませんが、
 こちらも、きわめて重要な問題です。

 まずは、日本人の出発点の確認作業です。

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 そうなんです。
 はやく、こちらに乗り出すためにも、日本建国史です。


 日本人とは、

 >>>  常に、イノチのつながりを感じている人のことです。

 そして、 今生 と あの世の仕組み を、きちんと分かっている人です。


 これは、  光の根源のアフラマズダ(毘ル遮那)に加え、
        裁きの神 イマ(閻魔)を つかみ出した ゾロアスター や

 すべてのイノチの遍在を知る、 ゴータマ・シッダールタ、

 そして、未来の発露が、自分の心から始まる、とする、 イエス・インマヌエル 

 らの教えを、取り込み、融合させていった、縄文ヒスイからの

 勾玉精神(ヌナカワ) にあります。
 
 上記を、日本列島に運んだのが、 原始キリスト教徒の蘇我氏です。

 30日は、ここを話します。

 PS:関西では、熱心な皆さんに囲まれて、幸せでした。
   ありがとうございました。

コメント(2)

松嶌 徹 (2010年1月26日 19:30)

大阪の会に参加させていただいた松嶌です。
先生のお話で漠然と知っていた無数の断片がみるみるつながってゆくのは、まことに快感でした。
予定を大幅に超えながら、一瞬のような時間でした。
ありがとうございました。

ところで、私がいま阿波徳島を拠点(隠居所)にしていることもあって、古代日本史で阿波の国のことを少しPRさせてください。

古事記において繰り広げられるドラマの多くが、阿波と淡路周辺を舞台にしている可能性が非常に高いのではないかと考えています。
以前から活動されている「阿波古事記研究会」の主張には過剰な我国引水も多々ありますが、考古学界で阿波の重要性があまりに無視されている現状は残念でなりません。
完全隠居後は、この研究もしたいと考えておりますが、新井先生には「阿波徳島をどうぞお忘れなく」と申し上げたく、コメントを書きくわえさせていただきます。
もしお時間があれば、研究会のサイト上の記事をお目通しいただき、ご批判いただければ甚幸です。
http://park17.wakwak.com/~happyend/kojiki/awa/awa_01.html

新井先生にはくれぐれもご自愛の上、この国の脊柱確立のため、なお一層のご活躍を祈念お願い申し上げます。

感謝合掌

admin (2010年1月28日 09:59)

松嶋 様

徳島(阿波)は、 642年に鎌足が日本に来た後、
それまで、神祇をしていた伊部(忌部)たちが、流されたところです。
このあとの中心が、忌部神社。

 日本では、643年を持って、それまでの、北イスラエルの神官から、
 南ユダの神官(特に、パリサイ派)に、 変わりました。

 そして、その完成が、 690年のアマテラス。
 そして、天皇の権威の固定化が、首皇子(聖武)による、
 大仏建立でした。

 以後、 阿波 は、大和朝廷のときの権力者にとって、
 都合の悪いものが、いつも、流されるところでした。

 それ以前は、
 3世紀の神武の東征、さらに、 応神、 仁徳、 タルドウなど、
 いつも、瀬戸内海を進み、このとき、淡路島は、戦略拠点でした。

 古代出雲との関係で言えば、 瓊島(沼島)が、もっとも重要でしょう。

 阿波忌部に拘る、林さんとは、お会いしたことがあります。
 徳島の山間には、イサク時代の伝統を持つものが、
 紀元前から入り込み、 ヤコブの子孫たちが、
 関西で、もめたときに、いつも、受け入れて、
 ここの部族の伝承を、残していったとおもいます。

 しかし、 邪馬台国そのものが、阿波に在ったとは、言いすぎ。
 2世紀後半には、 九州と、古代出雲(関西)の
 中間にあって、 中国と四国には、多くの部族が、
 交流し、入り混じりました。

 その関係を破ったのが、 公孫淵 の倭国亡命です。

 purplejade@kyoto21.net にメールください。

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