17日は、国民反乱でなく、個人の尊厳「市民蜂起」の発火点になるかも。/新井信介 「京の風」

HOME > 新井信介 「京の風」 > 気まぐれ日記 > 17日は、国民反乱でなく、個人の尊厳「市民蜂起」の発火点になるかも。

17日は、国民反乱でなく、個人の尊厳「市民蜂起」の発火点になるかも。

 私が、東京で、エルサレムやタルムードの話をした、17日の日曜日の夜、

お笑いの「よしもと」が、観測気球を上げていました。

 安倍チンが、15日に、いじめ芸で成り上がった松本人志 と会食した2日後、

 ウーマンラッシュアワーの村本が、フジテレビで、本来の芸人らしく、権力批判を込めた時事ネタを披露。  http://www.livenan.com/archives/20894281.html

 しかも、権力迎合メディアによる洗脳番組を、喜んでみて、真に、災難にあっている同朋の存在を、すすんで忘れようとする、軽薄で無責任な国民に、その批判は向いていた。

国民とは、国家の権力が創り出すアイデンティテイーや、その枠の中でのマネーという餌なしには生きられない人です。

それに対し、市民とは、個々人が、自分の内側に、人間として誰もがもつ普遍的な尊厳を感じ、自らの存在理由・価値だと自覚します。自分自身が、権力体(国家)の一部を構成する存在との自負をもち、どんな性格の国家権力であっても、自分個人は、国家とは対等である、と認識する人々です。

 

今日は、いろいろ、電話がありました。

で、わかったこと。

今、悪共の仲間割れが始まった。特に、これまでの権力者側だった、安部とそのお仲間の「ど真ん中」や「後ろ盾」に、ようやく、検察・司法が動きだしたことに、それを直感で感じて怯えだし、進んで情報提供することで、「司法取引」のごとく、刑事罰の軽減をもとめる人間が出だした、ということです。

個人の尊厳を基盤とする、民主社会という観点からみれば、日本列島にある権力体は、政官・財・メディア・学会の ペンタゴン構造であり、明治以来の日本、戦後の日本、さらに、「311」以後の安倍政権は、いずれも「イノチ」の観点で見れば、「共犯構造」でした。特に顕著だったのが、ゼネコンが関わる、巨大事業、なかでも、原発利権でした。

 

   

これが、壊れる。

仲間割れは、お互いが知る「脛の傷」を、相互に密告する事態になっていきます。

これが、何をもたらすか、分かる人には、判るでしょう。

 

これと同時に、今日は、夜9時のNHKニュースでも、「巨大地震の発生」について多くの時間を割きました。

 

「新しい芽」の発見 を急ぎましょう。

新規の科学技術や、耕作放棄地・空き家の利用方法。そこにいるだけで、魂に響く高い文化性と、病気を平癒してしまう空間造りの知見・メソッドなど。さらに、マネーを不要にする、情報や物品の交換のありかた。

一方、①「一帯一路」に合った、地球史を、まとめること。

 ② 現在、日本列島で急速に進んでいる精神的「荒れ野」を、「花園」に変える、という視座の設定。

 こっちも、必要です。

私は、「ミトラの教え」を知っています。「ニュートンの自覚」も分かっています。

・個人はどこまで行っても「ブドウの粒」。粒が房になる時、神が現れる。神は、我々とともに成長する。

・自分が知る知識、つかんだ知恵は、この宇宙の膨大な真理のまえには、耳かき一つ分もないこと。

それゆえに、

 多くの友をもち、出会う誰とでも、語り合わねばなりません。ナマの生きた、第一次情報での知識が増えていきます。

 そして、そうして集めたライブの知識を整理して、見識を高め、多くの真実と自らが繋がっているとの感触・共感を得ます。その上に、見識を進めて自らの問題意識を育て、胆識にまで深めないといけませんね。

 

ps (お知らせ):

  今年も12月30日から元旦まで、未来創庵、やります。「The DEEP」を話し合いましょう。

  ただし、重度の酔っぱらい、ふんどし踊り は、禁止ね。

< 【新井信介:2017年12月メッセージ】(2017年12月18日収録)  |  一覧へ戻る  |  新井信介先生のDVD:《ホリデー・シーズン・キャンペーンのお知らせ》 >

このページのトップへ