縄文の日本海大交流の拠点・真脇遺跡に行ってきた。能登半島の南側は、あり得ないほど美しかった。/新井信介 「京の風」

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縄文の日本海大交流の拠点・真脇遺跡に行ってきた。能登半島の南側は、あり得ないほど美しかった。

  こんにちは。

我が家の今年のGWは、能登でした。

安心して、おいしい魚を思いっきり食べたいということで、それなら、能登町にいこうと、

地元で愛される通の店、紅すし さんのところまで行ってきた。

信州中野を早朝5時前に出て、開店時刻11時に着く予定でしたが、一時間早く着いたので、そのまま真脇遺跡に向かった。

一作年、ヌナトツアーで真脇遺跡に行ったときは、大型バスでもあり、能登半島の山側を走ったため、七尾湾の海沿いの道は走らなかった。

 今回は、七尾から能登島の周りをぐるりと時計回りで回って、穴水を経て、能登町についた。

走っているとき、私は感激の声を上げ続けた。

 こんなに優しく美しい海の光景は、見たことがなかった。

道路はもちろん渋滞もなく、とにかく走るのが楽しい。心地よい。サイクリングは、最適でしょう。

日本海側で、南に海を見る風景はほんとうに少ないのですが、ここには、

海の向こうに島や岬が浮かび、さらに、その先に富山湾。その富山湾の向こうには、立山連峰です。

私の住む長野県は、その立山連峰(北アルプス)の向こうです。

これまでは、北信濃で日帰りできる場所は、せいぜい、七尾や能登島までと考えていたのですが、

今回、思い切って、その先までいって、大正解。感激の連続でした。

能登半島の先端の能登町では、山菜や果物は少ないだろうと、前日、信州中野の直売場で少し土産を買って行きました。喜んでいただけました。

で、我が家では決めました。

 日々、お金を節約して、これからは何回もこの能登町まで通おうと。特に、今回は行けなかった九十九湾は、魚が泳ぐ海底が見えるほど透明度が高い海で、ここには全く汚染がありません。

魚がもっともおいしい時期は、12月から2月と言いますが、それを待たずに何回も行きたい。

本欄で宣言した、「免疫力増強委員会」の活動として行くのもいいかな、と。

ちなみに能登町からの帰りは、のとじま水族館によってジンベイサメをみたあと、氷見の道の駅により、

高岡で、ナノ水の温泉に入って、小杉インター手前の天ぷら屋で晩飯にして、夜八時過ぎに北陸道に乗って、

我が家への到着は、夜10時半でした。

この間、中国と北朝鮮の喧嘩の様子を、移動の途中で、ネットでチェックしました。

で、今思うことは、

 真脇遺跡で、真砂さんのインデアンフルートを聞けらたいいなと。

 縄文時代の日本海大交流の海の拠点=真脇遺跡は、6000年前から始まり、 3000年前に水稲が入って瑞穂の国になったあとの日本列島に、2800年前には、シリウスをみる聖方位を伝える、エジプト系海洋族が入っていた事実を今に伝えるものでしょう。

真脇の環状木柱列は、三内丸山(青森)、笹山の火炎型土器(十日町)、長者ヶ原(糸魚川)、井戸尻(富士見町)、尖石(茅野)などの縄文遺跡をともに、私たち日本人の精神のルーツとなる場所です。連携して、スタンプラリーをしてはどうでしょう、と、博物館の学芸員に提案しておおきました。

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