日本近代、明治政府の対外進出の戦略論(動機づけ)は、佐藤信淵「混交秘策」からでした。/新井信介 「京の風」

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日本近代、明治政府の対外進出の戦略論(動機づけ)は、佐藤信淵「混交秘策」からでした。

  江戸時代までの、島国日本を、文明開化させ、その「皇(スメロギ)」を、世界中に開放・拡大する。

 天皇の威光を広くアジアに広げていく。それには、まず、中国大陸を、併呑する。

 こうした大構想を、幕末にもっていた人間がいました。

 もちろん、それを進めるには、日本国民に高い道義と、優れた文明の吸収が必要だといっていたのですが、

 これが、明治政府になってからあと、帝国主義の中で、最初の志がマネーに汚れ、変容・劣化していきました。

 「万世一系」の神国日本の「スメロギ」を世界に広めるべし、と、

  大戦略を言ったのは、秋田出身の佐藤信淵です。

 彼の思想(というより、大言壮語)が、現実の国家政策「八紘一宇」「大東亜共栄圏」に発展していったのです。

 面白い研究論文が、ネットで公開されていました。

 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/4623/1/KJ00000126394.pdf

 この中で、最後部に ≪混交秘策≫ に言及しています。

 「万国を征服して、皇化に浴せしめ、世界帝国を建設することは、日本の「国際責任」・・・」

 (当時としては、中華皇帝コンプレックスの反動です。まあ、清は、アヘン戦争以後、ボロボロでしたが。)

 これが、明治・大正・戦前の教育をすすめるときに、ものすごい使命感を、列島の民に植えつけました。

 それが、満州事変以後の軍部と御用メディアの暴走で、破たんしたのです。

 この反省・総括ができていない人間が、あまりに、多すぎます。何が正しく、何が、間違っていたのか?

 日本会議の重鎮たち(代表、加瀬英明)は、「あの時、核兵器を持っていなかったから負けた」といまでも、真顔で言っているのです。歴史の真相をまるで知らない人間の屈辱感が、すべての判断を狂わせているのです。 実際は、昭和天皇が、あえて負けるように仕向けたのですが、問題は、なぜそうなったのか、です。

 その結果、戦後も、国家の利権にありつこうとする、天皇崇拝教と、ロボット人間の大量生産になりました。

 

 「皇化」とは何なのでしょう。 もちろん、そこにあったのは、天皇=現人神(アラヒトカミ)です。

 それに対し、今上陛下は、自ら「生前退位」を、国民に宣言されたように、 人間なのです。 

 戦後の日本の統治体は、民主主義とは、言葉だけで、有権者であるという、本質的な意味(ルール制作者との自覚と責任)をきちんと教えず、不正選挙を見逃し、311以後は、フクシマの毒を進んで国民に食らわせ、撒き散らせます。(しかも、アメリカの戦争屋のいいなりで、ATMでした)

 そんな統治体が、まったく変化しないままで、世界中の模範になる なんてことは、ありえないでしょ。

 日本国民が、思いやりがあり、細かい配慮ができ、きれい好きで、現実対処の場面で工夫が上手いのは、

 明治からの統治体が、もたらしたのではなく、縄文から続く、列島の民族の文化性に根ざしています。

 この辺を、日本会議の面々は、まったく理解できないのです。 哀れです。   

 

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