2日はスノーモンキーを見て、大町(王町)の仁科神明宮に。次回の皆神塾は東京で23日。/新井信介 「京の風」

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2日はスノーモンキーを見て、大町(王町)の仁科神明宮に。次回の皆神塾は東京で23日。

おはようさん。

1) 昨日は、家を8時30分に出て、みんなで地獄谷のスノーモンキーを見に行きました。

9時の開園に合わせて行ったので、駐車場もちゃんととれた。

続々と、外国人観光客が続きました。

 今回、猿を見ての感想。

どれも、本当にまるまると太っていて、幸せそう。 餌の麦が撒かれていて、それを、拾ってむしゃむしゃ食べるのですが、これは、もう、とても、野生とは言えない、飼いならし、です。

どの猿も、温泉に入る所為か、皆、きれいな毛並みをしています。

今年は雪が少ないので、「スノーモンキー」 という、酷寒の大自然に生きているイメージが、全くわかない光景でした。

 日本では、各地の野生の猿が、 耕作放棄された田畑に侵入し、どんどんテリトリーをひろげ、人間の作物を食べる被害が出ています。猿だけでなく、イノシシもどんどん北上。

 野菜や果物を食い散らかす猿の中には、自分に石などを投げて追い払った人物を覚えていて、報復攻撃を加えるものもいます。 

 日本では、これからも、耕作放棄地が増えるのですが、彼らとの共存をどうするか、これもまた課題です。

 2) 猿の後は、中野市の直売場の一つ「いきいき館」に行って、きのこ汁を食べたあと、信濃大町の仁科神明宮に行きました。

 2016年、私は、元旦に地元の産土社の「松川神社」を個人で参拝しましたが、「未来創庵」としての初詣に、ここを選びました。この神社の名前に、縄文と、大陸(シュメール・ヘブライ)の融合が見えるからです。

私の研究結果では、BC109に成立した原初王権の「ニギハヤヒ」が、 3世紀に、大陸型の統治方法を知る人間に、「国譲り」します。新たな支配者となった人物は、淡路島の横の沼島での約束(これが、「国生み」)どおり、 なるべく、鉄器で殺傷しないで、戦乱を収束させることに腐心し、最後は、亀岡の地で、統治権を移譲されます。そのとき、金鵄が、飛んできています。

 信濃大町は、その新たな支配者が統治権を得たあと、自分の息子(王子)に、その地を開拓させたものです。

当時の開拓とは、穀物の取れる土地に変えることです。日本列島では、稲作の新田作りになります。大町のある安曇野では、1700年前は縄文から続く大森林が広がっていたでしょう。そして、大町のすぐ北は、白馬町で、その北に小谷村があり、ここから北に流れる川が姫川で、その先が、ヌナカワヒメの本拠だった糸魚川です。

 大町にある仁科神明宮の「仁科」の名前の由来は、今に続く日本国の建国に関わります。仁科神明宮は、小さい神社ですが、その建築様式は、国宝になっているのです。仁科は、もともとは、7世紀の初めまで、「仁品(ニホン)」と表記されていたものを、天武が、漢字では「仁科」と表記させ、発音の「ニホン」を取り上げて、「日本」の読みに、「ニホン」とツケさせています。

 日本列島では、すでに4世紀に「シナノ」の音で、この地方が呼ばれることが定着しており、そこから、埴科、明科、豊科、更科、蓼科、などの地籍がうまれました。(「シナ」とは何か? これも重要ポイントですが、皆さん考えてください。次回、未来創庵の参加資格の課題にしましょう)

 仁科(ニシナ)の地名は、天武時代にできた、比較的新しいものです。天武は、隋書倭国伝のアマタリシヒコの「日出処」の記載を元に、「日本」の漢字表記を考えだし、それを「ニホン」と読ませたのです。

 その深い意味を、不比等は、712年から720年までに、確認しています。

 717年に、遣唐使’(阿倍仲麻呂や、式家の元になる馬飼がいた)を送った時には、日本列島の本質を十分に知っていました。

3)  さて、2016年です。今日は3日です。

 今月の予定は、23日(土)、東京池袋で、皆神塾です(同日、高山さんのサムハラもあるようですが)。

 今回、未来創庵で話しましたが、 春節が、また、一つの節目になりますね。そして、さらに、「311」。

生き残りと、再生、羽化のための手をどんどん、打っていきましょう。

嬉しいことに、カザフスタンにも、ルートができそうです。

中野の地は、縄文の感性(音・声・響き)で、大陸の文明(文字・記録・金属)を、上手に取り込んだところでした。

 実は、昨日、仁科神明宮を参拝後、参加メンバーは4つにわかれました。

名古屋大阪方面に行ったもの。安曇野に残ったもの。長野駅から新幹線で東京に帰ったもの。

そして、私は、上田から参加した不食の仙人と糸魚川に向かいました。そこで、これまで素通りしていたヒスイの業者の小屋に、仙人の指示で立ち寄って、交流してから、中野にもどりました。その席には糸魚川の市会議員さんも偶然、参加されました。 そこは、ヒスイ愛好者のアジトでした。私は、ヒスイこそが日本文化の本質をしめすもの、という自説を開陳したところ、当然ながら、居合わせた皆さんに大いに喜んでいただきました。

 今年は、「枠」が動きます。崩れます。 自律するしかありません。 

 「生存」、「生活」、「富」 を、きちんと分けて考えましょう。 「壊れるもの」に依存したら、自分が消える。

みんな、会おう。繋がろう。 

 本音を話し、処々に生存の拠点を作り、地球を、真実のイノチの響きで、徐々に、ぐるぐる巻きにしよう。 

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